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神奈いですの雑談スレ9(文明復興行動案相談スレ)
7051 :
神奈いです ★
:2021/06/02(水) 21:14:55 ID:admin
董青(トウセイ)は字(あざな)を木鈴(モクレイ)といい、隴西(ロウセイ)臨?(リントウ)の人である。
父は董卓(トウタク)。齢(よわい)十に満たずして千巻の書を読み、文章を能(よ)くし、算術にも通じたため、神童と呼ばれていた。
時に奇声をあげて卒倒(そっとう)する癖(くせ)があった。また姪の董白と親しみ、これと結婚すると称した。
ある時、家人(けらい)に罪あり董卓が怒った、董青が庇って「死を賜(たまわ)るべからず」と言ったため董卓は笑ってこれを許した。
また、ある時、匈奴(キョウド)の里へ行き、官吏の横暴を止め「漢人(かんひと)匈奴(キョウド)いずくんぞ種(しゅ)あらんや」と叫んだ。
その時、漢人はみな匈奴を卑(いや)しんでいたため、匈奴は泣いてその人徳を讃(たた)えた。
董卓には文を能(よ)くる部下が少なく、長ずる前から男装し、李?(リカク)、郭(カクシ)を助け文官として働いた。
人の十倍の仕事をこなし、日々命じて人を縦横(じゅうおう)に走らせ、税を偽る者があれば捕らえ、ほかの吏たちは気の休まる暇が無かった。
賄賂を嫌い、贈ろうとするものを叱り、受け取った者がいれば焼き払うと言った。
中平元年一月、太平道に邪心あるを父董卓に上奏した。河東郡の太平道は武器を持ちだして乱を起こし、董卓は軍を発して大いにこれを討った。
異説にはそのころ巫女として河伯教団を設立し、貧富分け隔てなく人と接し、病死人に臨んでは涙を流し、衆望を得ていたとするが、別人ともいわれる。
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