ローカルルールを必読のこと

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酒ない支援スレ VER3

1 :神奈いです ★:2019/03/16(土) 13:45:49 ID:admin
立てました

121 :名無しさん:2019/04/05(金) 18:38:31 ID:0XeUi0NL
作業場の空気からまず殺菌するとかは?

実は殺菌灯が備え付けてあるとか

122 :酒ない ◆fMFJeA/W0Y :2019/04/05(金) 18:40:43 ID:CEEWvnKN
>>121
1.日本酒造りに有用な、酵母、乳酸菌、硝酸還元菌が死んでしまう。
2.空気をきれいにしても、そもそも麹に雑菌がついてる。

というわけで対策にはあわないですね。

123 :酒ない ◆fMFJeA/W0Y :2019/04/05(金) 18:46:54 ID:CEEWvnKN
よし決めた。基本に忠実に生酛造りでいく。
そして勝負に負けた女騎士子を地獄の酛ずり作業に巻きこもう。

124 :名無しさん:2019/04/05(金) 18:48:43 ID:0XeUi0NL
物理的に磨り潰すなら、水車使って石臼か何かでやったら駄目なん?

125 :酒ない ◆fMFJeA/W0Y :2019/04/05(金) 18:54:29 ID:CEEWvnKN
理論的にはできるかもしれません。
ですが清潔さの確保が難しいんじゃないですかね。
大手ですと菊正宗さんが生酛造りですけど、
機械ですりつぶしてるって話は聞いたことないなぁ。
ttp://www.kikumasamune.co.jp/kimoto/about/index.html

126 :名無しさん:2019/04/05(金) 19:00:51 ID:0XeUi0NL
まあ、理屈は間違ってなさそう、で非伝統的な作り方を最初からするのも興醒めか

127 :名無しさん:2019/04/05(金) 21:50:11 ID:RGnvbOsZ
米を増産して日本酒を大量に作るようになった時に山廃造りで仕込むとすれば、最初はもう一つの方法で仕込むのが良いかも

128 :酒ない ◆fMFJeA/W0Y :2019/04/05(金) 22:04:53 ID:CEEWvnKN
いろいろネタバレの度が過ぎるのでお口チャックしながらレス。

造りの方法ですが現代には4種類あります。
まず江戸時代に確立した寒作りの技法が「生酛」
それを20世紀初頭の技術で簡略化したのが「山廃」
ですが生酛と山廃で、いま造られてる酒の1〜2割にしかなりません

いま一番多いのは、山廃をさらに簡略化した「速醸酛」と、
速醸酛をさらに簡略化した「高温糖化酒母」ってやつですね
この2つは工業的に生産された、高純度の乳酸がないと実行できません。
瓶に「生酛」とか「山廃」って書いてない日本酒は、だいたいこのどっちかで作ったものだと思います。

なので、酒ないには後者の2つは名前しか出てこないでしょうね。

129 :酒ない ◆fMFJeA/W0Y :2019/04/09(火) 12:26:31 ID:3tuDwQ9C
酒ない、2章7話が書き上がりました。>>80の続きです。
村祭りですでに精霊魔法を見たという前提で進めます。
(修正は後回し)

130 :酒ない ◆fMFJeA/W0Y :2019/04/09(火) 12:26:59 ID:3tuDwQ9C
第7話「さがしてくる」

 トージの目の前で、地面から生えてきた女の子は、奇妙な姿をしていた。
 腰から上しか見えないので正確ではないが、体格はおおむね、リタの妹ルーティと同じくらい。つまり小学校3〜4年生くらいに見える。
 肌の色は黄色系で、リタやロッシのような白い肌よりもトージに近い。
 表情はとぼしく、目は眠そうに薄く開いている。
 奇妙なのは髪の毛である。いや、髪の毛と呼んでいいものか。

(葉っぱ、だよな……?)

 その女の子の頭には、毛髪よりもはるかに幅広い……緑色の細長い葉っぱのようなものが、髪の毛のかわりに生えているのだ。
 その髪の葉のなかの一束、いや一枚がぴょこぴょこと動き……

「さっきの、ちょうだい」

 硬直しているトージとリタに、彼女は不満そうな気配を込めて繰り返す。
 あぜんとしていたトージだったが、彼女の視線が、トージでもリタでもなく、トージが手に持っている空き瓶に向けられていることに気付く。

「えっ、これ? お酒が欲しいの?」

「そう。それ、ちょうだい」

「ええっと、未成年者は飲酒禁止なんだけどな。お嬢ちゃん何歳?」

「31まん、9985さい」

「さんじゅういちまん!?」

 予想外の数字に、またしても唖然としてしまうトージ。

「31まんさいは、お酒のんじゃだめ?」

「え、えぇ〜っと……」

 困惑するトージに声を掛けたのはリタだった。

「トージさん、いまはその子の望みどおりにしてあげたほうがいいです」

 トージの後ろから歩み寄ってきたリタの手には、餅つき大会で飲みきらなかった、まだ中身の入っている酒瓶が抱かれている。
 それを、さきほどの葉っぱの女の子が、目ざとく見つけるだった。

「あ! それ!」

 葉っぱの女の子は、小さな声でそう叫ぶと、両手で地面をぱん、と叩く。

「きゃぁっ!?」

 すると、リタの足元の地面から、腕のようなものがニョキッと伸びて、リタが抱いている一升瓶をつかみ去っていくではないか。

(うぇぇぇ!? なんだこれぇぇ!?)

 目の前で起こった不可解な現象の連発に、トージは動揺を隠せない。
 地面から生えた腕はすべるように移動して、小さな女の子に一升瓶を手渡し、そのまま地面のなかに飲み込まれるように消えていく。
 
 女の子は、半分ばかり酒の入った一升瓶から、「キュポン」と音を立てて蓋をはずし、漏れ出した酒の香りをかいで喜んでいたが……なにかに気付いたように動きを止め、ゆっくりとトージのほうに向き直る。

「……もらっていい?」

「ど、どうぞ、めしあがれ……」

 トージの返事に、女の子は、花が開いたような満面の笑みを浮かべた。
 そして一升瓶に直接口をつけると、小さなのどをコキュコキュと鳴らしながら、実においしそうに日本酒を飲み始めた。
 口が小さいからか、浴びるようにとはいかないが、それでもたいそう立派な飲みっぷりである。

「な、なんなんだ、この子……?」

「おそらくは……精霊ではないかと」

「ええっ!? この子、精霊なの?」

 地面から上半身を生やしたまま、酒を飲み続ける女の子。
 人間の頭には当然生えないはずの葉っぱが、ゆらゆらと揺れている。
 たしかに「普通の人間だ」と言われるよりは納得できるところだが……。

「でも精霊って、人間には見えないって話だったよね?」

 謝肉祭で教会の精霊使いを見たときに、リタがそう教えてくれたはずだ。
 精霊は女神の命令で世界を動かす存在。だがその姿は人には見えない……と。

「実は、例外があるんです。精霊のほとんどは目に見えないのですが、高位の精霊は普通の人間でも見ることができるそうです。だいたい、その精霊と関係の深い元素でできた、手のひら大の動物の姿をとると聞きます」

「でも手のひら大よりはかなり大きいし、動物には見えないよね……」

「ええ、ですからこの子は……高位精霊よりもさらに上位の存在。無数の精霊と高位精霊をたばね、女神様の命令で世界を運営する……」

 ふたりの視線が、幸せそうに酒を飲む女の子に向けられる。

「“大精霊”なのではないでしょうか」

131 :酒ない ◆fMFJeA/W0Y :2019/04/09(火) 12:28:13 ID:3tuDwQ9C

 半分残っていた一升瓶の日本酒のうち、さらに半分ばかりを飲み干した女の子は、「ぷぁ」と小さな声を上げながら、一升瓶から口を離す。
 そしてわずかに頬を赤らめて、幸せそうに酒瓶を抱いている。

「……そんなだいそれた存在には見えないけど」

「私も直接見たことはありません……伝え聞いただけです。大精霊は、女神と直接話すために、人間に近い姿で生まれてくると」

「そうなのか……。じゃあ、この子が、大精霊……?」

 トージたちがそんな話をしながら、女の子を見守っていると……。
 その子は酒瓶を置くと、両手で地面を叩き、すぽん! と下半身を地面から引き抜いた。
 そして、トージの足元に、ちょこちょこと走り寄ってくる。

「あのね、あのね……おいしかった」

 大精霊らしい女の子の身長は、トージのヘソのちょっと上くらいまでしかない。
 ずっと高い位置にあるトージの目を見上げながら、必死に訴えかけてくる。

「お水なのにね、土の力がたくさん入ってるの」

(なるほどなぁ、さすがは大精霊。酒が農作物からできてるってわかるのか)

 トージはひとり納得する。
 そして、彼女の前にしゃがみこんで、目線の高さをあわせた。

「僕はトージ。鴨志野トージだ。こちらはリタさん。君の名前を聞かせてくれる?」

「なまえ、テルテル」

「そうか。テルテル、僕たちが作ったお酒を、美味しく飲んでくれてありがとう」

「これ、お酒ってゆうの?」

「そうだよ。正確には“日本酒”なんだけど、“酒”とか“お酒”って呼ぶほうが多いね」

「トージが、つくったの?」

「そうだよ。僕ひとりじゃなくて、僕よりもっと酒造りをよく知ってる、先輩たちと一緒にだけどね」

「テルテル、またこれを飲みたいの」

 テルテルは、ぎゅっ、と酒瓶を抱きしめて……

「また、つくってくれる?」

 そう、訴えた。
 しかし、トージの表情は冴えない。

「たくさん作ったから、今年のあいだは飲ませてあげられるよ。ただ、来年はどうかな……」

「来年は、なんでだめ?」

「僕はね、もともと全然違うところで酒を造っていたんだよ。でもコッチに来たら、おいしい酒が造れる、良い水がなくなっちゃってさ……」

「お水が、だめなの?」

「そうなんだ。だから、来年からはちょっと約束できないな……ごめんね」

 来年からはお酒が飲めない。
 そう聞かされたテルテルの目尻には、涙の雫が溜まりはじめている。

「……ごめん。お客さんを泣かせちゃうなんて、情けないよ」

「トージさん……」

 しかし、小さなテルテルはそれでもあきらめようとしない。

「いいお水、あればつくれる?」

「いい水? そうだね、水さえなんとかなれば造れるよ。いま探してるんだけどなかなか見つからなくて……」

 トージがそう説明すると、テルテルは腕でごしごしと涙をふき、トージに向き直った。

「どんなお水、ほしいかおしえて」

「えっ、どういうこと?」

「つちのなか、みず、たくさん」

 テルテルはそう言って、自分の足元を指さした。

(そうだ、酒造りに使う水は地下水だ。この子が大地の精霊なら、地下水もなんとかできるんじゃないか!?)

「リタさん、ちょっとその子を見てて!」

「あっ、はい! わかりました!」

「テルテル! お水持ってくるから、ちょっと待ってて!」

 トージはそう言い残して、蔵に向かって走り出した。

132 :酒ない ◆fMFJeA/W0Y :2019/04/09(火) 12:28:53 ID:3tuDwQ9C
――――――――――◇――――――――――

「お待たせぇぇ!」

 リタとテルテルのところにトージが戻ってきたのは、数分後だった。
 その手には、たくさんの瓶が入ったカゴが握られている。
 トージは息を切らせながらしゃがみこむと、カゴのなかから瓶を一本取りだし、蓋を取ってテルテルに手渡した。

「まずはこれ。いま井戸からわいてる水だね。この水だとおいしい酒はできないんだ」

 瓶を受け取ったテルテルは、中の水をこきゅこきゅと飲んでいく。

「……うん、土の下の水とおんなじ」

「それで……僕がほしいのは、こういう水」

 トージが次に差し出したのは、水の入ったペットボトル。
 リタにも見せた、東京で販売されている賀茂篠酒造の仕込み水だ。
 テルテルはさきほどと同じように、水を飲んでいく。

「……うん、中身がちがう」

「わかるかい!?」

「いま湧いてる水には、これが入っちゃってるんだ。ペットボトルの水には、入ってないだろ?」

 トージはカゴのなかから、小瓶をふたつ取り出した。
 片方の小瓶には赤茶色、もう片方には黒っぽい液体が入っている。
 赤茶色の液体は鉄イオン。黒っぽいのはマンガン。どちらも酒造りの天敵であり、仕込み水の中に入っていてはいけないものだ。
 テルテルは小瓶の蓋を開け、液体を一滴ずつ舐め取る。

「……入ってる、でもちょっと」

「すごい精度だな、さすが大精霊……」

 賀茂篠酒造の仕込み水には、鉄分は「入っていない」とされている。
 しかし、これは鉄が完全にゼロだという意味ではない。
 水の成分を分析する試薬や機器の精度には限界があり、ある程度の濃度がなければ、成分を検出することができない。つまりごくごく微量だけ入ってはいるが、少なすぎて検出できないから、便宜的に0と呼んでいるにすぎないのだ。
 そのため行政に提出する書類などでは、試薬や機器の限界精度より少なかった成分は、「0」ではなく「検出されず」と記入される。

 ……つまり、地球の一般的な水質分析試薬が検出できない鉄分を検出したテルテルの知覚は、20世紀のレベルを超えているということになる。

「と、ともかく、このふたつの物質が少ない水なら、いい酒がつくれるんだ。探せそうかい?」

 テルテルは引き締まった、力の入った顔になり……

「がんばる」

「大丈夫かい? 何か持っていくものとかあれば……」

「がんばる」

 テルテルはそう繰り返すと、その場でピョンとジャンプする。
 テルテルの体は足の先端からずぶずぶと田んぼに潜り込んでいき……
 あとには田んぼの土だけが残された。

「……行っちゃいましたね」

「大丈夫かなぁ……あ、そういえばあの子、いつ帰ってくるんだろう?」

――――――――――◇――――――――――

133 :酒ない ◆fMFJeA/W0Y :2019/04/09(火) 12:29:49 ID:3tuDwQ9C

 カァ、カァ、カァ。
 あかね色の空を舞う、黒い鳥。
 賀茂篠酒造のクリーム色の石壁が、西からの日差しでオレンジ色に染まっていく。

(こっちの世界にもカラスはいるんだな……)

 夕暮れ時。
 トージの姿は、いまもテルテルと出会った田んぼにあった。
 彼が腰掛けているのは、キャンプ用の折りたたみ椅子。
 その後ろにはキャンプ用のテントまで組み上げられている。

「トージさん、お茶が入りましたよ」

「ありがとう、リタさん。さすがに今日は冷えるねぇ」

 リタが差し出したキャンプ用マグカップの蓋を開けると、湯気に含まれた香ばしい茶の香り。ほうじ茶である。
 水問題で酒造準備をストップするまでの数日間で、リタはすっかり賀茂篠酒造の台所の使い方を身につけていた。
 このほうじ茶も、電気ポットで湧かした湯を急須に注いで淹れたものである。

「戻ってきませんね、テルテルちゃん」

「まあ、狩人のロッシ君が知ってる湧き水が全部ダメだったくらいだからね、いかにあの子が大精霊だとはいえ、そう簡単には見つからないはずさ」

 日帰りどころか、数日、もしかすると一月くらいかかってしまうかもしれない。
 トージはテルテルと出会った田んぼにテントを張り、彼女が戻ってくるのを待ち続ける決意を固めていた。

「……やっぱり、やめたほうがいいですよ。たしかに立派な野営装備だと思いますけど、それでも悪疫に勝てるとは限りません。それに野犬が出るかもしれませんし……」

「野犬はこわいな。でも、だめだよ」

 たしなめるようなリタの口調に、トージは目を閉じ、マグカップを両手で包み込むように持って、ゆっくりと語り始める。

「あの子は、僕がこれからも酒を造れるように、頑張っていい水を探してくれているんだ。そんなあの子が戻ってきたときに、この田んぼに誰もいなかったら、悲しいじゃないか。何より、そんな不義理は僕自身が許せない」

「はぁ……トージさんは頑固ですね……」

 ため息をつくリタ。似たような問答は、この前にも何度も行われていたのだ。

「わかりました。では、今夜は私も、そのテントで休ませていただきます」

「はぁ!? 何言ってんの!」

 こんどはトージが驚く番だった。

「弟に聞きましたが、2人以上で野営するときは不寝番をたてるそうですよ? 野犬が出ても、見張りが気付けば逃げられるから安全です」

「いやそういう問題じゃなくて、まずいでしょ! 年頃の娘さんが男とふたりきりで夜を明かすなんて!」

「トージさんの命や健康と比べれば、ささいな問題です」

「もう、リタさんは頑固だなぁ……」

「"さん"はやめるという約束でしたよ」

「いま仕事中じゃないよね!?」

 そうやってふたりが、おたがいさまな言い争いをしていると、足下の地面がぽこりと盛り上がる。
 
「あっ、帰ってきた!?」

 昼間と同じように、地面のなかからあらわれたのは、葉っぱの髪を生やした地の大精霊。テルテルだった。

「おかえりテルテル! 水はどうだった? 見つかっ……」

 勢いよく椅子から立ち上がったトージ。
 水への期待に輝いていた彼の顔が、硬直する。

「見つから……なかったかい?」

 地面から上半身を生やしたテルテルの目には、小さく涙が浮かび、頬は不満そうにふくらんでいたのだ。

「みず、あった」

「あったのかい!?」

「あったけど……もってこれなかった」

 テルテルは表情をさらに嫌そうにゆがめながら、自分の後ろに目線を流す。

「だから、つれてきた……やなやつ」

「連れてきた……何を?」

 テルテルの後ろで、田んぼの地面に水が湧き上がる。
 水はそのまま巻き上がり、盛り上がり、凝り固まり……トージとリタの目の前で、少年の姿をとった。
 その体は透明で、トージにも、一目で尋常ならざる存在だとわかった。

「我は母なる女神との盟により、万物を支配する三相二遷が一、たゆたう水の大精霊なり! 個たる名をもって"ネーロ"と呼び奉るがよい。して、我が水を求める強欲な人間とは、貴様か!」

 小柄で透明な体をふんぞり返らせて、ネーロと名乗る水の大精霊は、そう言い放ったのだった。

134 :酒ない ◆fMFJeA/W0Y :2019/04/09(火) 12:31:26 ID:3tuDwQ9C
以上、酒ない2章7話でした。
大地の大精霊に続き、水の大精霊登場!
第8話は酒造用水を巡るイベントです。

135 :酒ない ◆fMFJeA/W0Y :2019/04/09(火) 12:36:31 ID:3tuDwQ9C
前話書き終わりから2週間かかっている。
これじゃあかんなぁ。遅くとも1週間で書き上げないと。

136 :名無しさん:2019/04/09(火) 13:26:56 ID:ZrRTfbXI
更新乙です。
偉そうな口調で「ネーロ」はどうしても「ネロ・クラウディウス」を思い浮かべるFGO脳。


1点引っかかったところが。

>「いま湧いてる水には、これが入っちゃってるんだ。ペットボトルの水には、入ってないだろ?」

この台詞って、トージとテルテルのどっちですか?
内容的にはトージだとは思うんですが、トージの「わかるかい!?」のあとなので
初読はテルテルの台詞かと判断しました。今見直せばトージだとは思うんですが。

すっごくつっかかったので、ここは修正すべきかと思います。

137 :酒ない ◆fMFJeA/W0Y :2019/04/09(火) 13:30:55 ID:3tuDwQ9C
ありがとうございます。

138 :酒ない ◆fMFJeA/W0Y :2019/04/09(火) 13:33:36 ID:3tuDwQ9C
―――――――――――――――――――――――――――
「……うん、中身がちがう」

「わかるかい!?」

 トージは驚きの顔で、カゴのなかをまさぐりだす。

「いま井戸に湧いてる水には、これが入っちゃってるんだ。ペットボトルの水には、入ってないだろ?」

 そう言ってトージは、カゴのなかから小瓶をふたつ取り出した。
―――――――――――――――――――――――――――

間にワンクッション+受ける地の文で発言者を明記しておきました。

139 :名無しさん:2019/04/09(火) 13:50:24 ID:ZrRTfbXI
ああ、これなら大丈夫ですね。
ありがとうございます。

140 :酒ない ◆fMFJeA/W0Y :2019/04/09(火) 13:53:45 ID:3tuDwQ9C
今回はセリフが多い回だったので、先に全部セリフを書いてから地の文を追加するやりかたをしたんですよ。
なので地の文入れなきゃだめなところを見落としてましたね。指摘大変助かります。

141 :酒ない ◆fMFJeA/W0Y :2019/04/09(火) 14:09:09 ID:3tuDwQ9C
2章7話を読んでくださった方にアンケート

・トージがテルテルに何を言ってる、何を求めているかわかりましたか?

・テルテルはかわいかったですか?

・ネーロの最後のセリフについて率直な感想をお聞かせください。

142 :名無しさん:2019/04/09(火) 23:18:05 ID:ZrRTfbXI
>・トージがテルテルに何を言ってる、何を求めているかわかりましたか?
少なくとも現状で引っかかった部分はないです。

>・テルテルはかわいかったですか?
可愛いか可愛くないかでいえば可愛いんだろうけど……
「31まんさいはおさけのんじゃだめ?」とか可愛いんだけど
……ちょっと言語化できない部分で可愛い、と言い切れない気がしている。ごめん。

>・ネーロの最後のセリフについて率直な感想をお聞かせください。
三相二遷ってなんやねん。
ま、次回説明あるやろ。

143 :酒ない ◆fMFJeA/W0Y :2019/04/10(水) 13:35:38 ID:8yREHm3Y
回答ありがとうございます。参考になります。

144 :酒ない ◆fMFJeA/W0Y :2019/04/18(木) 10:59:52 ID:KDyk0R5A
義龍さんの囲碁回を読みました。
自分の囲碁知識は基本ルール(敵の石を囲んだら得点)を知っているくらいでプレイ経験はありません。
なので作中に出てきた囲碁用語はまったくわかりません。

試合展開については、
義龍が中央からじわじわ浸食して相手のプレーエリアを狭めていく戦術をとり、
仙也は果敢に切り込んでいく戦術をとった。
義龍の失着手から仙也を圧迫していたゾーンディフェンスが崩壊し、
義龍の敗戦となったと読めました。
未経験者でもここまで理解できたので、文章力だなぁと思います。

と、ここまでジュライさんの雑談スレに書いてきましたが、
なんで酒ないスレでこれを再度書いたかと言いますと、
これから酒ないも酒造りパートで専門家の打ち筋を書いていくからなんですね。
しかもこちらは「ある程度理解して貰う」ことを狙って書かなければいけないので、
ハードルがさらに高くなります。
先達に敬意を表しつつ、がんばらねばと思い書き込みました。

145 :酒ない ◆fMFJeA/W0Y :2019/04/18(木) 11:00:39 ID:KDyk0R5A
2章8話ですが、セリフ書きが8割方終了。
週末で地の文を追加して投下できればと思ってます。

146 :酒ない ◆fMFJeA/W0Y :2019/04/18(木) 15:45:43 ID:KDyk0R5A
2章8話、セリフだけで7000字に到達しそう。これは分割しないと駄目かな?

147 :名無しさん:2019/04/18(木) 16:10:12 ID:p+Wjvl98
なろうならさすがに分割したほうがいいと思います。

148 :未頼 ◆JyxsyJ1qJQ :2019/04/21(日) 22:04:17 ID:jfHHZHHT
わざわざありがとうございます

大したアドバイスではないですが、専門用語は雰囲気を出すには良いのですが
使いすぎると言葉の説明で文が長くなるのでご注意くださいませ
あえて素人の目線で誰かが見ていて質問してくるのに答える形式で
工程を説明するとかするのがオーソドックスだと思います

149 :酒ない ◆fMFJeA/W0Y :2019/04/22(月) 20:16:36 ID:wnpqMtkO
わざわざここまでありがとうございます。
酒造り解説パートは、一章のクワスづくりと同じ、「なぜこうするのか」を重視していきたいと考えています。

まずはそこまでたどり着かなければなりませんけどね!

150 :酒ない ◆fMFJeA/W0Y :2019/05/31(金) 17:06:28 ID:yfr3ikVl
前話からものすごく間があいてしまいました。
酒ない、2章8話が書き上がりましたので投下します。>>133の続きです。
2章9話も今日中に完成させちゃいたいなぁ。

151 :酒ない ◆fMFJeA/W0Y :2019/05/31(金) 17:07:00 ID:yfr3ikVl
第8話「大精霊の試し(上)」

−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

 賀茂篠酒造には、来客への応対に使う応接室がある。
 革張りのソファーが並び、ガラステーブルが置かれた応接室の上座に、水の大精霊と名乗った透明な体の少年、ネーロが座ってふんぞり返っていた。

「あの“サケ”という液体を作ったのは貴様だと聞いたが」

「ええ、そうですよ。僕と、僕の先輩がつくったものです」

 そう答えたのはトージである。
 トージの右隣には、緊張した面持ちのリタ。左隣には、大地の大精霊テルテルが不満げな顔で座っていた。

「そうか。水の大精霊たる余が、これまで見たこともない液体をつくりあげるとは。人間にしては、なかなかやるな、貴様」

「ありがとうございます」

「さて、貴様はそのサケとやらを作るために、余が管理する水を求めたいと、身の程をわきまえんことを言っておるそうだが、」

「そこをなんとかなりませんかね? できることならなんでも……」

「貴様に発言を許可してはおらん」

「すいません……」

「……やなやつ」

 気がはやったトージがミスを犯し、テルテルが水の大精霊ネーロの態度に不満を表明し、会談は険悪なムードで始まった。

「余の言葉を遮るとは不遜なやつめ。ともあれ、余が管理する水を、水の|理《ことわり》を知らぬ者に与えるつもりはない」

「……“水の理を知らぬ者”ですか」

 その言葉がトージのプライドを刺激する。
 トージはソファから立ち上がると、胸に手を当て、貫くような視線でネーロを見据えた。

「生まれてこのかた26年間、僕はひたすら米と水と酒に向き合ってきました。偉大な先達には及びませんが、すくなくとも水が、いかに貴重な宝であるかを理解しているつもりです。いただいた水を粗末に使ったりしないと約束します」

 トージの宣言に、ネーロの不愉快そうな表情が、歪んだ笑みに変わる。

「ほう、言ったな人間。貴様は“水を知っている”と?」

「……言葉をひるがえすつもりはありません」

「よかろう。ならば貴様に、試しを受けることを許す。これから余は2つの“試し”を授ける。試しを乗り越え、貴様が人中の賢者であると証を立ててみせるがよい。さすれば水の件、考えてやらんでもない」

 トージの表情は変わらない。
 しかしリタの目には、こめかみに冷や汗が浮かんだように見えた。

(大きく出すぎたかな。発言を撤回するべきか……いや、だめだ)

 ネーロは歪んだ笑みを浮かべながら、トージを値踏みしている。
 それは「水の理を知る者かどうか見極めている」というよりは、大口を叩いた人間をおもちゃにして、遊びたがっている表情に見えた。

(この手の人は、こちらが守りに入ったら興味を無くして商談を切り上げてしまう。いままで何度も営業で経験してきたじゃないか……こうなったら、相手の手のひらの上にあがって、うまく踊りきってみせる。それしか手はないぞ、鴨志野トージ)

「おい女、水を受ける器をいくつか持って参れ」

「はい、ただいま」

 ネーロはトージの返事も待たず、リタに命じて道具を用意させる。
 ガラステーブルの上には、一斗缶くらいの大きさの甕がひとつと、三枚の深皿、そしてガラスのコップが並べられた。

「貴様が求める水はこれであろう」

 ネーロが右手をさっと振ると、甕の上空に水が凝り固まり、重力に引かれるように甕のなかに流れ込んでいく。
 トージはその水をひしゃくですくい、コップに移して口に含み、飲み干した。
 その瞬間、トージの緊張がやわらぎ、喜びの表情が広がった。

「これは……いい水だ。|鉄気《かなけ》は感じないし、たぶんマンガンも少ない。この水ならきっといい酒が造れますよ」

「そんなことはどうでもよい。第一の試しである」

 ネーロがふたたび腕を振る。
 こんどは3枚の深皿の上に水球が生まれ、皿のなかに満たされていく。

「貴様らに3種の水を与える。どれが貴様が求める水と同じものか示してみせよ」

 トージとリタは、白い深皿に満たされた水をじっと見る。
 水は無色透明で、にごりもなく、まったく同じように見えた。
 リタは不安げな声でトージに呼びかける。

「……トージさん、大丈夫ですか?」

「やってみないとわからないね。でも、水の違いを見抜けないようなら、酒造りなんてできっこないと思ってるよ」

152 :酒ない ◆fMFJeA/W0Y :2019/05/31(金) 17:08:02 ID:yfr3ikVl

 トージは左の皿の前に立つと、水をすくい、口に含んだ。
 口のなかで水を回し、優れた味覚をフル回転させ、風味の違いを感じ取る。

(これはかなり近いな、正解候補だ)

 次は、真ん中の皿から水を取って口に含むが……

(んん〜……だいぶ苦いな)

 トージの口のなかに苦みが一杯に広がる。
 あえて近い味を探すなら……日本のコンビニでも売っている、ヨーロッパ産のミネラルウォーターに近いかも知れない。

(苦みの原因は、カルシウムとマグネシウムだな。かなり“硬そう”だ)

 カルシウムやマグネシウムは、大抵どの水にも溶けているが、量が多いと苦みの原因になる。
 ヨーロッパは土地が石灰質で、土地の傾斜がなだらかなので、水が地中を通過しているあいだに大量のミネラルを溶かし込む。このように大量のミネラルを含んでいる水は「硬水」と呼ばれている。
 一方で日本の水には軟水が多い。国産のミネラルウォーターはほぼすべて軟水だ。
 日本は雨が多く、土地の傾斜が急なので、山に降り注いだ雨水があっという間に……つまり「ミネラルをじっくり溶かし込む間もなく」湧き水になって地表にあらわれるためである。

 トージの舌によれば、甕に入った水は軟水。真ん中の皿の水は硬水だ。
 あきらかに違う水と言えるだろう。 
 トージは真ん中の皿に心のなかで×マークを付け、右の皿に移る。

(うわっ、臭っ!)

 トージが水をコップすくい、口に近づけると、鼻を突くカビの臭い。

(これは飲む必要もないな、まったくの別物じゃないか)

 トージはコップに口もつけず、テーブルに戻した。 
 そして顔をあげ、ネーロに視線を向けて宣言する。

「わかりました」

「ほう、飲まなくてよいのか? それに、貴様だけでなく、そこの女も使ってかまわんが」

「最後の水は、人間が飲んだら腹を壊しますんでね。甕の水と同じ水は、この左の水ですよね?」

 それを聞いたネーロは、フン、と不愉快そうな鼻息ひとつ。

「合っておる。貴様がひとつめの試しを退けたことを認めよう」

「やりましたね、トージさん!」

「ならば第二の試しである。大皿の水を捨て、清めて持って参れ」

 リタは指示に従い、3枚の大皿を洗って卓上に戻す。
 すると水の大精霊ネーロは、さきほどと同じように、空中に3つの水球をつくりだし、それを皿の上に沈めた。

「第二の試しの題は同じである。この3つの皿に満たした水の、どれが貴様が求める水と同じものか示してみせい」

「わかりました」

 トージはさきほどと同じように、大皿に注がれた水をコップに注ぎ、順番に口に含んでいく。

「………………」

 3つめの水を口に含んだトージは、コップをテーブルに戻す。
 腕を組むトージの額には、深いしわが刻まれていた。

「……どうですか? トージさん」

「なるほどね……これは難問だぞ……?」

 リタの目の前で、トージのこめかみから、冷や汗が流れ落ちた。

153 :酒ない ◆fMFJeA/W0Y :2019/05/31(金) 17:08:36 ID:yfr3ikVl

――――――――――◇――――――――――

「どうだろう、率直な意見を聞かせてくれないかな」

 トージは自分で3つの水を飲み比べた後、リタにも水を飲んでもらい、味の違いを確かめてもらっていた。

「正直なところ、大変困っています。3つの水は、どれも同じ味のようでいて、微妙に味が違うように感じるんです。そして……」

 リタはそう言いながら、甕のなかに入っている、正解の水に視線をめぐらせる。

「トージさんが求める、あの“正解”の水。あの水の味も、この3種類の水ととても似ています。なのに、どれかと同じかといわれれば違う気がするんです」

「やっぱりそうか……」

 思わぬ難問に困惑するトージ。
 トージの舌も、リタの感想とだいたい同じことを感じ取っていた。
 そのためトージは、自分と同等かそれ以上の味覚を持つ、リタの舌に頼ったのだが……彼女にとっても、これは難問であるようだった。

「僕の舌には、左の水はすこし苦くて、中央と右の水は甘みが強く感じられた」

「同じです。少しですけど、はっきり違いがありましたね。ただ、“正解の水”は、その両者の中間くらいの味わいに感じませんか?」

「だよねぇ……」

 何が悩ましいのか。
 大皿に満たされた3種類の水のなかに、「これが“正解”と同じ味だ」と確信できる水が、ひとつもないのである。
 だが、味の違いはごくわずかで……
「同じ水だ」と言われれば反論するほどではないのだ。

「ですがトージさん、中央と右の水が同じ味だとすると、正解はひとつだけ味が違う左の水ということになりませんか?」

「かもしれないけど、決めつけるのはちょっと早いよ。僕らの舌が、この水たちの重要な違いに気づけていないだけかもしれない」

 リタとトージは「うーん」と考え込む。
 出題者たるネーロは、相変わらずニヤニヤと嫌らしい笑みを浮かべながら、そんな二人の様子をうかがっていた。
 
「あらかじめ申しつけておくが、そこの地の精霊に試させることは、まかりならんぞ。貴様ら人間の力で試しを退けて見せよ」

「やなやつ……!」

 テルテルの小さなほっぺたは、不満でぷっくりとふくらみ、いまにも爆発してしまいそうだ。

(まあ確かに、現代日本の水質検査機器より敏感なテルテルがやったら、一瞬で答えが出て、面白くもなんともないだろうけど……うん? そうか、そういえば)

「ところで大精霊殿、試しに“道具”を使ってもかまいませんね?」

「それが人の造りしものなら、好きにするがよい」

「よっし! ふたりともついてきて!
 あと、この水ちょっともらっていきますよ!」

「トージ、なにするの?」

 トージは「正解」の水と、問題の水3種類をコップに注ぎ、明るい顔で応接室を出て行く。その後ろに、リタがしずしずと、テルテルがちょこちょことついていった。
 だが、その背中を見送るネーロのにやついた笑みには、すこしの揺らぎも見られなかった。

(せいぜい足掻いてみせるのだな、人間よ。なにせこの“試し”には、とびきりの罠が仕掛けられているのだからな……!!)

――――――――――――――――――――――――
 第8−9話は推理小説テイストでお送りします。

154 :酒ない ◆fMFJeA/W0Y :2019/05/31(金) 17:10:06 ID:yfr3ikVl
以上、酒ない2章第8話でした。
次の2章9話はセリフ書きまで終わっているので、地の文追加でき次第続きを投下します。

155 :名無しさん:2019/06/06(木) 22:05:38 ID:FhkMaP3S
乙でした。

3つ中2つが同じような味というのは
ちょっと見ないパターンかも。
どうなるのか続きを期待来てます。

156 :酒ない ◆fMFJeA/W0Y :2019/06/07(金) 02:57:26 ID:ahey+s1c
感想ありがとうございます。ちょっとわかりづらい展開ではないかと心配していたので、
どこが焦点になっているのか正しく伝わったようでほっとしています。

157 :名無しさん:2019/06/10(月) 21:13:13 ID:WKi0mBVg
1)学ぶ系要素が楽しい
薀蓄は学習漫画ややるやらの定型(読者目線で疑問点を質問するキャラに説くパターン)を踏まえると良い感じになりそう
(というのは確か上に誰か書かれていた気もする)

2)酒でドラゴン
ドラゴン……トカゲ……爬虫類……蛇……お酒……ヤマ……、うっ頭が
戦う理由が発生するとしたら水源に巣食われて水質汚染が発生、立ち退き交渉にも応じず敵な流れ……かなあ?

3)同じ水が含まれているとするならば甘く感じるカラクリが気になるところ


158 :酒ない ◆fMFJeA/W0Y :2019/07/02(火) 17:02:49 ID:Sx29r+44

前回投下から1ヶ月過ぎてしまいました。
酒ない2章9話がようやく書き上がりましたので投下します。

文字量6700字ちょい。結構な長さになりました。

159 :酒ない ◆fMFJeA/W0Y :2019/07/02(火) 17:08:08 ID:Sx29r+44
第9話「大精霊の試し(下)」

――――――――――◇――――――――――
 大精霊ネーロのふたつめの試しに挑むトージは、リタとテルテルを引き連れて建物の3階に上り、ドアの鍵を開ける。
 ドアの上には「検査研究室」の文字。

 トージの後について室内に入ったリタが目にしたのは、未知の空間だった。
 銀色に輝く箱のようなものが無数に並び、あちこちが赤や緑の光を放つ。
 七本の光の棒が描き出しているのは数字だろうか?
 透明なガラスで作られた容器には、乳白色のにごった液体が満たされ、こぽこぽと静かな音を立てながら泡立っている。
 リタがかろうじて連想できたのは、物語に出てくる魔女や錬金術師の工房だが……それですら、目の前にあらわれた異様な光景をたとえるには不足だといえた。

 研究室の威容に圧倒されているリタに気づかぬまま、トージは試しの器から汲んできた「正解」の水ひとつと「問題」の水3つを卓に置き、部屋の奥からいくつかの機材を運んでくる。
 見たことのない道具に、めざとく反応したのはテルテルだった。

「トージ、それなに?」

「水の成分を調べる、水質検査キットだよ」

 そう言いながらトージが卓の上に置いたのは、木製の小さなラックが4つ。それぞれのラックには10本ほどの試験管が差してある。
 トージは手慣れた器具さばきで、試しの水を試験管に移していく。
 次にトージが黒い箱を開くと、そのなかには無数の試薬がおさめられていた。
 そのなかのひとつを開け、中からつまようじのように細い、黄色の紙を取り出す。

「テルテルは知ってると思うけど、水のなかにはいろんな成分が溶けてるよね。この紙は、そのなかでも"カリウム”が溶けてる量を教えてくれる紙なんだ」

 トージは試験管に紙を投入し、軽く振る。
 すると、黄色かった紙がみるみるうちに薄いオレンジ色に染まっていった。

「いろ、かわった」

「だね。この紙の色を、カラーチャートと比較してみよう。カリウムが多いほど、濃いオレンジ色になるんだけど……」

 変色した紙の色を、容器に貼られている色見本と比較する。
 その色は5段階の濃さに分かれた色見本のうち、3段階目の色に近かった。

「この色は、10ppmくらいのカリウムが含まれてるときの色だね」

「このあいだ、トージさんが台所で使っていた薬とは違うんですね」

「あのとき調べたのは鉄分の量だからね。鉄やカリウム以外の成分に反応する試薬もたくさんあるから、水の成分に違いがあれば、どれかの試薬に違いが出るはずさ」

「さっそくやってみましょう!」

 トージは、色が変わる試験紙を水に入れたり、試験管の水に試薬を垂らしたりして、「正解」の水と、「問題」の水3種類の成分を調べていった。
 トージ、リタ、テルテルの三人が、色が変わった4つのラックを検分するが……

「トージ、ぜんぶおなじ」

「そうだなぁ。目視でわかるほど、色の違いは無い感じだ……」

「味が違うのに、成分が同じ? 問題の水と同じ水は、ひとつのはずですよね」

「そのはずだけどな。ただ、色が同じだからって成分が完全に同じってわけじゃないからなあ」

「……どういうことでしょう?」

「カラーチャートのところを見て貰えばわかるんだけど……」

 トージはそういって、最初に使ったカリウム検出用の試薬ケースをリタに渡す。
 その側面には濃さの違うオレンジ色で塗り分けられた5段階のカラーチャートがあり、それぞれに「0.0-5.0-10.0-20.0-50.0」という数字が振られていた。

「この数字は何なんでしょうか?」

「それはカリウムの濃度だね。"この色と同じ色なら、だいたいこの濃度ですよ"ってことを示している」

「だいたい?」

 テルテルが、こてん、と首をかしげる。

160 :酒ない ◆fMFJeA/W0Y :2019/07/02(火) 17:08:37 ID:Sx29r+44

「そういうこと。今回の場合、カリウムの濃度が10.0のときの色に染まっているけどあくまで色を見くらべて10.0の色と同じだねって言ったけど……この試験紙はそこまで厳密に濃度を測れるものじゃないんだ。もしかしたら濃度は9.0かもしれないし、11.0かもしれない」

「たしかに……お椀の水に塩を9粒溶かしても、11粒溶かしても、"ちょっとしょっぱい水"に変わりはありませんね」

「うん。実はね、検査結果が同じでも、成分が完全に同じとは限らないんだ。こういった手軽な試薬は、精度が低いから、あまりにもわずかな違いは検知できないのさ」

「つまり……?」

「味が違うってことは成分も違うはずだから、試薬が反応しないくらいわずかな違いだってことになる。きっとハズレの水は、当たりの水より100メートル上流で採取したとか、採取したのが朝か昼か夕方かとか、そういうレベルの微妙な違いしかないんだろうね」

「結局、私たちの舌で正解を見つけるしかないんですね」

「あーもう、農大のイオン測定装置があればなぁ! あれなら、もっと正確に成分を測れるのに……」

 この研究室にも、酒の成分を高い精度で測れる機材は導入されている。
 しかし、水の成分測定は、毎年業者にお願いしているのが実情だった。
 理由は簡単、装置が高いからである。

「トージぃ……」

 弱気は敏感に伝わるものだ。
 頭をかきむしるトージの姿を、テルテルは不安そうに見つめている。

「あー、ごめん。あきらめてなんかないよ。試薬とか機械とか、いろいろ便利なものはあるけど、結局最後は人の力なんだ。かならず正解を見つけてみせるって」

「トージさん、私、もう一回飲み比べてみます!」

「頼むよ。僕もなにか別の方法がないか考えてみる」

 ないものねだりをしても仕方がない。
 水の大精霊ネーロが与えた「正解の水」は、あきらかに酒造りに向いている成分を示していた。この水を手に入れて酒造りを続けるためには、今ここにあるものだけで結果を出さなければいけないのだ。
 
 リタはふたたび4種類の水を飲み比べはじめた。
 一方でトージは、水の成分のわずかな違いを検出する方法はないかと、腕を組んで研究室全体を見渡しながら思索に沈む。
 しばらく後、機器の作動音だけが空間を満たしていた研究室に、リタがコップを卓に置く「カタン」という音が響き渡った。

「……トージさん、申し訳ありません。私、もうお役に立てそうにありません」

「どういうこと?」

「どの水も、同じ味に感じるんです!!」

 そう訴えるリタの顔は、すっかり青ざめている。

「あの大精霊の前で飲みくらべたときは、たしかに水の味に違いを感じたんです……でもいまは、それがわからなくなってしまいました。どの水も同じ味に感じて……舌がおかしくなったみたいです」

(リタさんほどの味覚の持ち主が……? プラセボ効果かな?)

 プラセボとは本来「偽薬効果」を意味する医療用語で、効果のない錠剤を飲んだのに、薬を飲んだという思い込みによって体調が変化する現象のことをいう。
 これは医薬品だけでなく、味覚などの五感にもあてはまる。
 たとえば日本酒業界の場合、無色透明な酒が美味いという先入観がある。酒に色がついていると、それだけで本当の味よりも「マズイ」と感じてしまいかねない。
 そのため色を無視して純粋に味だけを評価したいときは、居酒屋の熱燗によくついてくる白いお猪口ではなく、酒の色が見えないような濃い色の付いたお猪口に酒を注ぐという工夫が行われている。プラセボは馬鹿にできないのだ。

(さっき「成分がほとんど同じ」だって結果が出たからな。そのデータという現実に、味覚のほうが引っ張られてしまったかもしれない)

「よしわかった。僕ももう一回飲んでみよう」

 トージはあらためて、4種類の水を口にふくむ。
 目を閉じて視覚を遮断。水を口の中で転がし、味蕾のすみずみに触れさせる。
 水を含んだまま鼻呼吸をして、水が持つわずかな香りすら捉えようとする。
 味覚、触覚、嗅覚の3つをフル動員した戦いであった。
 たっぷりと時間をかけて水を試すと、お猪口を卓に置いてトージは目を開けた。

「……なるほどね。リタさん、わかったよ」

「わかったんですか!? 正解が?」

 トージは口元をニヤリとゆがめ、これまでリタに見せたことがなかったような、意地の悪い笑みを浮かべる。

「あの大精霊さん、たちの悪い罠を仕掛けてくれたなぁ。いいぜ、そっちがそうくるなら、こっちも乗ってあげようじゃないの!」

161 :酒ない ◆fMFJeA/W0Y :2019/07/02(火) 17:09:29 ID:Sx29r+44
――――――――――◇――――――――――

 賀茂篠酒造3階の研究室から、トージたち3人が応接室に戻ってきたとき。
 トージは両手で、湯気の上がる奇妙な箱を手にしていた。

「なんだ、それは」

 長い時間待たされた不満を隠すこともなく、水の大精霊ネーロが問う。

「飲んでもらいたいものがありましてね」

 トージが"それ"を応接室のテーブルに置くと、ふわりとアルコールの香りが漂う。

「フン、賄賂のつもりか? あいにく、そんなもので手を緩めるつもりはないぞ」

「そういう話じゃありませんよ。ただ、飲んでもらいたいだけで」

 トージが持ってきたのは「燗付け器」という器具である。
 四角い水槽の中に電熱式ヒーターが仕込まれていて、中に入れた水の温度を一定温度に保つ仕組みになっている。
 ここに日本酒を満たした器を漬けると、日本酒が適温に温まり、「お燗」した酒が楽しめるというものだ。

 トージは、燗付け器に差し込んでいた細長い金属コップ「ちろり」を抜き取ると、温水のなかで暖めていたお猪口の水を拭き、ちろりの中で暖まった日本酒を注ぐ。

「さあ、まずは一杯目、召し上がってください」

 トージはふたつのお猪口に同じ酒を注ぎ、ネーロとリタにすすめた。
 ネーロはつまらなさそうに、リタは興味深そうにその酒を飲み干していく。

「どうだい、リタさん」

「酸味と香りがさわやかで、深いうま味を感じます……美味しいですね。日本酒は温めても美味しいんですか。驚きます」

 トージは満足そうにうなずき、ネーロに視線をやる。

「これが何だというのだ。別に味に文句をつける気はないが、貴様が作った日本酒とかいうものを、暖めただけではないか」

「まあまあ。二杯目を飲んでもらえばわかりますから」

 トージはふたりを数分待たせると、2本目のちろりを引き抜いた。
 さきほどと同じようにリタとネーロに勧めると……
 酒を口に含んだリタとネーロは、ふたりそろって眉をしかめる。

「どうだい?」

「うーん……トージさん、失礼ですが、あまり美味しいと思いません。1杯目のお酒とくらべて渋いです。それに、酸味も"くどい"感じがします」

「うん、そうだろうね」

「なんだ、貴様、知っていて不味いものを飲ませたのか? 不愉快な」

 ネーロの周囲を舞っている水がざわめき、応接室に不穏な空気が流れ出す。
 だが、トージは素知らぬ様子で笑顔を浮かべ、解説をはじめた。

「まあ、そう言わないでくださいよ。僕が言いたいのはですね……
 最初の酒と2杯目の酒は、
 同じ瓶から注いだ“同じ酒”だってことなんです」

「なんだと?」

 驚きのためか、怒りのためか、ネーロがソファから立ち上がる。

「馬鹿なことを申すな、人間よ。現にこうして味が違うではないか。そこの人間の女も、そう申しておる」

「嘘はついていませんよ。同じ酒ですが、違う酒なんです。
 何が違うかは、両方の猪口を同時に触ってもらえばわかりますよ」

 2杯の燗酒を提供した2個ずつのお猪口。
 ネーロはぞんざいに、リタはおそるおそる、両手を使ってふたつの猪口を触る。

「なっ……!?」

 驚きの表情を浮かべてネーロは絶句する。
 そしてリタも、ふたつの酒のちがいに気付いていた。

「トージさん、これは、温度が違います。
 後から出されたお酒のほうが、すこし暖かいです」

「そのとおり。1杯目の酒は、温度43度、僕らが“ぬる燗”と呼んでいる温度で出しました。そして2杯目は温度50度、僕らが“熱燗”と呼ぶ温度で出しました」

 そう言ってトージは、テルテルに渡していた日本酒の瓶を受け取る。

「日本酒は、入っている成分によって、冷やすと旨い酒と、暖めると旨い酒に分かれます。この酒は冷やして旨くなるように造りました」

 トージの手にした瓶は、日本酒瓶の定番である緑色や褐色ではなく、鮮やかなアイスブルー。ラベルの文字も寒色系で統一された、賀茂篠酒造の夏季限定商品だった。

「だから、この酒は“ぬる燗”までなら美味しいんですが、たった7度“熱燗”まで暖かくするだけで、イマイチな酒になってしまうんですよ」

「そうだったんですか……」

162 :酒ない ◆fMFJeA/W0Y :2019/07/02(火) 17:09:57 ID:Sx29r+44

 リタは感心した顔で、語り続けるトージを見つめている。
 一方で水の大精霊ネーロは、いらだちを隠せないまま黙り込んでいた。

「さて、お酒も入ったところで“試し”の話に戻りましょうか。……おや? 水の大精霊ネーロ殿。顔色が悪くありませんか?」

「……やかましい!」

「大丈夫だそうですので続けましょう。リタさん、じつはですね、温度によって味が変わるのは、水も同じなんですよ。暖かい水は甘く感じ、冷たい水は苦みが強くなります」

 トージはそう言いながら、研究室で見せたものと同じ、意地悪い笑みを浮かべた。

「甘みと苦み……? あっ!」

「気付いたみたいですね、リタさん。そう。2つめの試しで出された3種類の水、僕らは味が違うと感じました。左の水は苦く、中央と右の水は甘い。それは、出された水の“温度が違っていたから”なんですよ!」

 祭りで鍛えた張りのある声でそう宣言しながら、トージは芝居がかった動きで両手を大きく広げてみせる。

「そして、僕らが試行錯誤しているあいだに、水の温度は4つとも“気温と同じ”になってしまった。だから、さっきリタさんが水を味見し直したとき、4つの水は全部同じ味になっていたんです! つまり!!」

 ネーロの顔に向かって、トージの右手人差し指が突きつけられる。
 そのポーズは、トージの少年時代に大ヒットしていたミステリー漫画の探偵少年を、気味が悪いほど完コピしていた。

「謎はすべて解けた!!
 僕が求める水と同じ水は、

 “この3種類すべて” です!

 違いますか!? 水の大精霊ネーロ殿!」

「ぜんぶ、おなじ?」

「ぜ、全部正解だなんて、そんなのありなんですか!?」

「だってリタさん、テルテル、ネーロ殿は“どれが貴様が求める水と同じものか示せ”と言ったんだよ。一度も“正解の水はひとつ”だなんて言ってない」

 トージは自信満面の表情で、両手を腰に当てて水の大精霊に向き直る。

「ネーロ殿。
 あなたは1つめの試しで、僕たちに“正解は1個”という先入観を植え付けました。
 そして2つめの試しでは、同じ水に、温度を使ったトリックで違う味をつけて、
 僕たちが“ひとつだけ味の違う”水を選ぶように仕向けたんでしょう?」

「なぜだ……なぜ人間ごときが、我が罠を見破ることができる……!」

「ネーロ殿。あなたの罠は、とてつもなく完成度が高いものでした。
 もしも、その甕に入った“正解の水”と、
 左の皿に満たされた“誤答を誘導するための水”が、
 |まったく同じ味《・・・・・・・》だったなら……
 僕たちはためらいなく、左の皿を“正解”に選んだでしょう。
 ですがそうはならなかった。
 左の皿と、甕に満たされた正解の水は、微妙に味が違いました」

「そんなはずはない!」

「あなたは、そうするつもりなどありませんでしたよね。わかります。
 では、なぜそうなってしまったのか?
 原因はね、器ですよ。
 ネーロ殿。あなたは1つめの試しの後、リタさんに皿を清めさせましたね。
 そのときリタさんが皿を洗った水は、井戸水です。
 この大地の下でキンキンに|冷やされた《・・・・・》……ね」

「ま、まさか……!」
 
「ご明察です! さすがは水の大精霊!
 問題の水を満たす皿が、井戸の冷水で冷やされた!
 その皿に“僕が求める水”を注いだら、熱が皿に奪われ、水は冷える!
 冷えた水は、甕に入った“僕が求める水”より|苦くなった《・・・・・》!
 だから僕たちは、幸運にも、
 あなたの敷いた“誤答への誘導”を外れることができたんですよ!」

 イキイキと「探偵役」を演じるトージに、唖然とするリタ。
 一方、ネーロはトージを憎々しげに睨みながら、怒りに体を震わせている。
 彼の体を構成する水はじわじわと熱くなり、湯気が立ちはじめ……

「ちくしょぉぉぉぉぉ!!」

 水の大精霊ネーロはそう叫ぶと、応接室の窓ガラスを突き破って飛び出した。

「あっ! こら! 逃げるな!!
 水おいてけぇ〜!!!」

 盛大に割れ砕けた応接室の窓から、トージの叫びがむなしく木霊した。

――――――――――――――――――――――――
(蔵人頭の源蔵)じっちゃんの名にかけて!

 作者はどちらかというと冷酒派なのですが、お酒へのお燗のつけかたは奥が深いです。
 お燗については、機会があったらもうちょっと踏み込んで解説してみたいですね。

163 :酒ない ◆fMFJeA/W0Y :2019/07/02(火) 17:13:41 ID:Sx29r+44
以上、酒ない2章9話でした。
ネーロとの水利(推理って書こうとしたら誤字った)バトル終了。
酒ない自身はじめての経験となる謎解きでしたが、いかがでしたでしょうか?
次回からいよいよ酒造りがスタートします。
感想などいただけたら嬉しいです。

164 :未頼 ◆JyxsyJ1qJQ :2019/07/02(火) 21:44:28 ID:WR/vioIz
お疲れ様です

最近校正中に言われた事なのでなろうでは問題ないとは思いますが、あまり間を表現するのに「……」を多用しない方が良いと言われました
可能な部分は「、」だけとか、最初に文章で表現した方が良いそうです

165 :名無しさん:2019/07/02(火) 22:19:48 ID:myykYMF1
乙でした
同じ酒を違う温度で呑み比べた事が無いからよく分からないけど、そんなに味が違うものなのか

166 :酒ない ◆fMFJeA/W0Y :2019/07/03(水) 09:58:41 ID:uF8KcSsG
感想ありがとうございます。

「……」について、なるほど、指摘感謝です。すこし減らすよう心がけてみます。

お酒の温度による味の違いですが、かなり差が出ます。
特に本話で出したように「成分の構成が燗酒に合ってない」酒でやると如実に変わります。
このあたりは科学的にも証明されていまして、酒造家は目的とする飲み方にあわせて酒の成分を調整するのですね。

167 :酒ない ◆fMFJeA/W0Y :2019/07/08(月) 19:53:37 ID:P3vldJSm
んー、どうにも文字量の見積もりの甘さが目立ちます。
プロットで3行で書いたところを、いざ文字に起こしてみたら1500文字。
冗長にならないように気をつけなければ。

というわけで10話の執筆中です。がんばります。

168 :名無しさん:2019/07/08(月) 21:43:38 ID:yo4rqqQB
なるほど、面白いトリックでした。

169 :酒ない ◆fMFJeA/W0Y :2019/07/09(火) 16:24:24 ID:3FYHYev5
感想ありがとうございます。
トリックはTRPGのシナリオくらいでしか扱ったことがなかったので、
楽しんでいただけたらうれしいです。

170 :酒ない ◆fMFJeA/W0Y :2019/07/09(火) 16:28:58 ID:3FYHYev5
今日は次の10話ではなく、構成修正を決めていた、
第1章3話 >>12-16 の改訂版を投下します。
改訂コンセプトは、謝肉祭のシーンに「精霊術(精霊魔法)」の使用シーンを加え、
この世界に魔法があり、精霊という存在がいることを示すことです。

171 :酒ない ◆fMFJeA/W0Y :2019/07/09(火) 16:29:21 ID:3FYHYev5
第3話「日本酒と謝肉祭(1)」

 カーニバル当日。

 トージは、ひさびさに自分の愛車ではなく、父の4WDの運転席に座って、リタの家を目指していた。
 トージにとってこの車は、今は亡き両親とスキーに行くときに使った車、という印象がある。実際にはそれから1回代替わりしているのだが。
 愛車を使わなかった理由は複雑ではない。賀茂篠の蔵からリタの家まで下るルートには、かろうじて車が一台通れそうな空間はあったが、木の根や大石が飛び出していて、いつものセダンではとても越えられそうになかったのだ。

 トージがリタの家の近くに4WDを止めると、エンジン音を聞きつけて、リタの家族たちが家の外に出迎えにきた。

「ピカピカの馬車だー!」

「あれ? 馬が引いてないぜ。もしかして魔法の馬車か?」

「ふたりとも、そういうことを言いふらしたらいけませんよ。いいかしら?」

「わかってるって」「は〜い!」

 わいわいと騒がしい家族の前で、4WDのドアが開き、トージが降りてくる。

「わぁ……!」

 トージの格好を見て、リタが、家族が、息を飲む。
 お祭り男であるトージの服装は、気合いが入っていた。

 足下はピカピカに磨き上げられた革靴。漆黒の燕尾服で全身を包み、そのなかからのぞく白のワイシャツと白い蝶ネクタイ。
 23歳のとき、友人の結婚式で調達し「完全に服に着られている」「20年遅い七五三」「本日の仮装大賞」と大不評、ある意味大好評だったものだ。
 本日はさらに、町内会の隠し芸で使ったシルクハットと白手袋、胸元の白いハンカチに加え、さらには真っ赤なバタフライマスクで目元を隠している。
 腰元では燕尾服の|テール《尾羽》が風にはためき、いつ月にかわってお仕置きされても恥ずかしい格好であった。

(この怪しさ、まさに突っ込み必至! やはり祭りにはヨゴレがいないとね!)

 カーニバルといえばパレード、パレードといえば仮装。
 手の込んだ衣装の準備はないが、トージは手元にある範囲で、最大限ウケの狙える格好をコーディネイトしてきたわけである。

 問題は……この世界に住むリタたちにとって、トージの服装は仮装でもネタでもなく、お城の舞踏会に出席する異国の貴族にしか見えないことであった。

「……リタ、【わかっていますね】?」

「はい、お母さん。けっして不用意に口にしたりはいたしません」

 リタたちは、トージのことを「この国に流れてきた異国の貴族が、故あって身分を隠している」と疑っていたが、たったいまそれを確信したのである。
 そしてトージの態度から、自分の身分が広く知れ渡ることを望んでいないと|忖度《そんたく》し、ごく一部の人だけに事情を知らせたうえで、あくまで貴族ではないカモスィノ家のトージ様として扱うことを取り決めていたのだった。

 無論、トージはそれを知るよしもないし、興味がないので気付くこともないであろう。彼の頭のなかは、このあとのカーニバルと日本酒のお披露目で一杯で、とても母娘の密談を気に留めるような状況ではなかった。
 トージはリタの弟ロッシの手を借りて、車に積んできた荷物を台車に積み替え、車のキーをロックする。
 リタの家族も、リタと母レルダのふたりがかりで鉄の鍋を持ってきた。動物系の香ばしい匂いが漂い、トージの胃袋を刺激する。

「おお、今日もおいしそうな匂いがするね、朝食抜きの胃袋には効くよ」

「お口に合うといいのですけど……」

 リタの表情に不安よりも照れが強く見られるのは、昨日の晩餐でトージが彼女の料理をべた褒めしたからか、それとも匙の一件か。

「トージ様、こちらは準備が整いました」

「それでは行きましょう! いざ、カーニバル!」

「いざー!」

「「いえーい!」」

 リタの妹ルーティとハイタッチし、トージは街の広場へ歩き始めた。

172 :酒ない ◆fMFJeA/W0Y :2019/07/09(火) 16:29:49 ID:3FYHYev5

――――――――――◇――――――――――

 リタたちの家は、村の北側の外れにある。
 村の中央にある広場までは、おおむね10分ほどの道のりということだった。

「カーニバルなのに、みんなは仮装とかしないんだね」

「仮装、ですか?」

 トージの問いかけに、リタが不思議そうに返事をする。

「カーニバルといえば、仮装でサンバでジャネイロじゃないか! みんながどんな格好になるのか楽しみにしてたんだけど」

「トージさんの国ではそうなのですか? こちらではそういうことはしませんね、カーニバルって古い言葉ですけど、意味は“|謝肉祭《しゃにくさい》”ですし」

「謝肉祭……?」

「はい! 良いお肉ができたことを母なる女神に感謝するお祭りです♪」

「そ、そうなの……? じゃあ、僕のこの格好は……」

「? とってもご立派だと思いますよ?」

(……ウケてない……だ……と……!?)

 渾身のギャグを全力でスカされたトージは、失意にまみれながらわざとらしくトホホとつぶやいて、真っ赤なバタフライマスクをポケットに突っ込んだ。

「着て来ちゃったものは仕方がないか……それで、良いお肉ができた、ってことは、|屠殺《とさつ》をするわけだよね」

「はい。昨日トージさんにのしかかってしまった豚も、ドングリを食べてよく太ってきています。もうすこし食べさせたら屠殺することになると思いますよ」

「食い物があるなら、もっとデカくしてから屠殺したいんだけどなー」

 会話に入ってきたのは、リタの弟、ロッシ。
 トージよりもゲンコツひとつぶん小柄な、赤毛のクセっ毛の15歳だ。

「森でドングリが実るのも、せいぜいあと2〜3ヶ月だからな。それが過ぎると放牧しても大きくなるどころか、痩せてくばっかりなんだよ。春に生えてくる草は山羊と羊に喰わせたいしさ」

「食べ物がないならしょうがないな。でも、もっと遠くまで連れて行けば、食べ物が残ってる森もあるんじゃないの?」

 トージの視界には、もうすぐ冬だというのに一面の緑の森が広がっている。
 数日歩けば、まだまだ手つかずの森はあるように思えた。

「そうできるんならそうするんだけどな。こんどは人間のほうが参っちゃうのさ。川から離れるとろくな水もないから、水分は山羊の乳だけ。煮炊きも厳しい。乳と煎り麦だけで、丸2日とかマジで勘弁」

「へぇ、やっぱり放牧って大変なんだね」

 弟のロッシ君による実感のこもった畜産トークに圧倒されるトージ。
 動物とのつきあいといえば地元の猟友会に狩り出されるくらいで、畜産についての知識はほとんどない彼であった。

「はい、おしゃべりはここまでにしましょう。つきましたよ」

 リタの母、レルダがそう言って足を止める。そこは村の広場だった。
 即席のかまどが広場の中央にいくつも造られ、そのうち何個かには、すでに鍋が据え付けられている。リタとレルダは、そのうちひとつのかまどに、持ってきた鍋をセットした。

「トージ様の料理は、あとから火を入れたりはしないのですよね。それなら、先に村長にご挨拶に向かいましょう」

――――――――――◇――――――――――

 しばらく後。トージとレルダは、リタたち姉弟が待つ広場に戻ってきた。

「トージさん、村長さんはどうでした?」

「うん、謝肉祭への参加も、料理と飲み物を出すことも、すんなり許していただいたよ。もっと余所者には厳しいと想像してたんだけどな」

「トージ様のことは、昨日のうちに、村長にお話ししておきましたので」

「そうだったんですか、そいつは助かりました」

 さきほどトージが面会してきた村長は、見た感じ40代中盤の壮年男性だった。茶色の短髪でがっしりとした体格、顔は角張ったしかめっ面。しかも表情がほとんど動かないのである。
 最大の特徴は眉毛だった。トージの地元なら「ゲジゲジ眉毛」と呼ぶような極太の眉毛が、話題が変わるたびにピクピクとよく動くのである。リタなどは「村長さんの考えていることは、顔よりも眉毛を見たほうがよくわかります」などと言っていたほどだ。

 ともあれ、晴れて謝肉祭への参加を許されたトージは、料理を乗せたお盆を台に据え、リタとともに村長の近くに座って謝肉祭の開演を待っているのだ。
 しばらくすると、一段高い台の上に、さきほどのマユゲ村長があらわれた。

173 :酒ない ◆fMFJeA/W0Y :2019/07/09(火) 16:30:00 ID:3FYHYev5

「皆、聞いてくれ。今年も母なる女神の恵みにより、麦と家畜を糧とすることができ、嬉しく思っている」

 村長の顔はあいかわらずのしかめっ面だが、垂れ下がったマユゲが内心の喜びをあらわしているように見える。

「しかも今年は、大聖堂より、大地の神官様がお越し下さっている」

 おおっ!! と、一斉にどよめく村人たち。
 村長が「静粛に!」とうながすが、村人たちの興奮はおさまる様子がない。

「うわ、リタさん、すごい盛り上がりだね?」

 面食らったトージが隣に座るリタに問いかけるが、そのリタ自身も興奮を隠せないようだ。

「ええ! 大地の神官様が村の農地を祝福してくだされば、来年は豊作まちがいなしですから!」

「ええっと、豊作祈願のすごいやつ、みたいな感じ、なのかな?」

 トージが村人たちのテンションについていけず戸惑っていると、村長の家に止まっていた立派な馬車から、白い神官服を身につけた痩身の男性が降りてきた。
 左右には護衛とおぼしき兵士たちがずらりと付き従っている。
 護衛だけで10人はいるのではないだろうか? ものものしい警戒態勢だ。

 神官は村人たちの中央に陣取ると、種のようなものを地面にまき、両手を合わせてなにやら呪文のようなものをとなえはじめた。
 やがて神官の両手のあいだに光がともり、村人たちが「おお……」と驚きの声をあげる。
 神官が両手を広げ、押し下げるように地面にかざすと、地面に変化があらわれた。儀式のはじめに神官がまいた種が発芽し、テレビでよく見る植物の生長を早送りで再生した動画のように、にょきにょきと育っていくのだ。

(うわぁ、なんだこれ! 魔法だ、すげぇ!)

 目の前で展開する不可思議な光景に、トージは目を丸くして驚いた。
 まっすぐに伸びた麦に豊かな穂がつき、全体が黄金色に変わると、神官の手からようやく光が消えた。

「リタさん、なんだいあれ!」

「神官様の精霊術ですよ」

「精霊術?」

「ご存知ありませんか? 世界の造物主である母なる女神様は、自分の手足として、|地水火風氷《ちすいかふうひょう》の五種の精霊をつくりました。精霊は、ふだんは女神様の命令で世界を守護しています。ですが、まれに一部の精霊が人間を気に入って、力を貸してくれることがあるそうです」

「それが、あの神官さん?」

「はい。大地の神官様は女神教会にも数名しかいないらしいです。この村に精霊使いの神官様が来てくださったのも、20年ぶりなんだそうですよ」

「なるほど、ものすごいエリートなんだなあ……」

 リタとトージがそう話しているうちに儀式は終了した。神官の額の汗を従者が拭き取ると、神官は目線をあげて村人たちに宣言した。

「女神と大地の精霊の恵みにより、この地は力を取り戻しました。あなたがたが母なる女神への感謝を忘れず、真面目に畑を耕せば、母なる女神はこの麦穂のように、豊かな実りであなたがたの努力に応えることでしょう」

 神官の儀式をかたずを飲んで見守っていた村人たちは、神官の言葉を聞いて、「ワァッ」と盛り上がる。なかには夫婦で抱き合ったり、感極まって泣いてしまっている人も少なくない。
 村長と一部の村人は、神官一行にぺこぺことお礼をしている。
 神官一行は手を小さくあげて答えると、足早に馬車に乗り込んでいく。

「あれ、神官様たち、祭りには参加していかないの?」

「このあともいくつも村を回られるんだと思います。たった数名で王国の村村を回られるのですから、お忙しいでしょう」

「なるほどなぁ。せっかくだからいろいろと話を聞いてみたかったな」

 村人たちは、帽子やら手ぬぐいやらサンダルやら、思い思いに手に持ったものをブンブン振って、大地の神官が乗った馬車の車列を見送っている。
 馬車の姿が見えなくなると、村長がふたたび大きな声で村人の注目を集めた。

「それでは皆、母なる女神と大地の恵みに感謝して、今年の謝肉祭をはじめたいと思う。その前に、今年の謝肉祭には、村の外から二組の客人を招いている。ひとりは皆もおなじみ、商人のオラシオ。もうひとりは異国より、トージ・デ・カモス……ウォッホン、トージ殿だ。皆、ふたりとも食べ物を分け合ってもらいたい」

(うーん、招かれざる余所者に殿付けとは、なんと心の広い村長さんだ)

174 :酒ない ◆fMFJeA/W0Y :2019/07/09(火) 16:30:19 ID:3FYHYev5
 村長が、自分を貴族名で呼びそうになっていたことに、もちろんトージは気づかない。この男、酒造りと祭りと社交以外のことには、脳味噌のリソースをほとんど割いていないのである。

 トージから村長を挟んで反対側の席では、くすんだ金髪の若い男が、退屈そうな表情で頬を突いている。

「なんだい、あいつ? せっかくの祭りなのに、不景気な顔で」

「行商人のオラシオさんです。あの方、いつもあんな感じですから……きっと、お仕事が楽しくないんじゃないでしょうか」

「ふーん。祭りを楽しむ気がないなら、引っ込んでればいいのに」

 そうやってトージとリタがひそひそ話をしているあいだに、村長のスピーチも終わりを迎えたようだった。

「それでは今年の|謝肉祭《カーニバル》をはじめよう。豚を前へ!」

 村長がそう声を張り上げると、さきほどトージが挨拶に行った村長宅から、まるごと吊し焼きにされた巨大な豚が運び込まれてきた。
 丸々と太った豚の皮はこんがりとあぶられ、肉の脂とハーブが混ざった香ばしい匂いが漂ってくる。

(くっ、しまった! これはあきらかに冷えたビールが合う匂い! 日本酒にかまけて、そこまで頭が回ってなかった!)

「……どうしたんですか、トージさん?」

 頭をかかえてひとり後悔するトージを尻目に、村長のスピーチは続く。

「今年も森の恵みは豊かなようだ。豚もよく育つだろう。さあ皆、一切れ食べたら、あとは好きなように楽しんでくれ!」

 ウワァァァ! と、村人の歓声があがり、皆が豚の丸焼きに群がり始めた。

「さあ、トージさん、私たちもいただきましょう!」

 リタの細い手に引かれて、トージは丸焼きの豚に向かう。村長の奥さんと娘さんが切り分けて渡している豚肉は、肉汁があふれていかにも旨そうだ。
 切り分けられたのはロース肉。トージにとっても、とんかつやショウガ焼きでおなじみの部位だが……口に運んでかみしめると、あまりの味の違いにトージは目を剥いた。この豚は旨すぎる!

「さすがは村長さんの育てた豚です、本当に美味しいですね♪」

 リタも満面の笑みをうかべてロース肉を味わっている。
 この豚と、トージが日本で食べてきた豚の何が違うのか。それは脂である。
 通常の豚肉は、筋肉は筋肉、脂身は脂身と、両者がくっきりと分かれている。だがこの豚肉は、筋肉の部分からも脂のうま味を感じるのだ。

「ドングリのおかげですよ、トージさん。私たちは9月くらいから豚を森に入れて、ドングリを食べさせるんですよ。すると豚たちがどんどん太って、脂身が筋肉のなかまで入り込んでいくんです」

「ああ、さっき村長さんが言ってた“森の恵み”ってやつだね」

「ええ。生肉を切ってみるとよくわかりますよ、脂が網の目みたいに、赤身のなかに食い込んでいるんです」

「なるほどね、豚肉なのに霜降りなのか」

 トージは食べたことがないが、これは現実世界のスペインの特産品「イベリコ豚」にも見られる特徴である。体内に良質の脂肪分を蓄えたイベリコ豚は、現地では「足の生えたオリーブの木」などと呼ばれることもあるという。

「さあトージさん、ほかの料理もいただきにいきましょう!」

175 :酒ない ◆fMFJeA/W0Y :2019/07/09(火) 16:30:34 ID:3FYHYev5

――――――――――◇――――――――――

 トージはリタに連れられ、鍋の番をしている村人たちと挨拶をしながら、山盛りの料理をすこしずつ頂戴していく。

 村人たちは村の仲間とワイワイ話しているが、トージに声を掛けられると目を丸くして驚き、とたんに低姿勢になってしまう。
 それもそのはず。トージが着ているのは、漆のようにつややかな黒で染められたカシミヤを、現代日本の技術で織りあげた燕尾服。
 近世の絵画に出てくるような、くすんだ色の農夫服の村人たちに混ざると、あきらかに場違いなのである。

「トージ様……トージ様は、お貴族様なんで?」

 勇気ある村人のひとりが、誰も口にできなかったことを問いかけた。
 その瞬間、リタはトージの目がキラーンと光ったように感じた。

「ははは! ばれてしまってはしかたがない! ルネッサーンス!!」
「ひぃ!」
「トージさん!?」

 トージが芝居がかった仕草で腕を振り上げる。
 突然振り上げられたトージの腕に叩かれると思ったのか、村人はおびえ、リタが驚きの声をあげる。
 服装に対するツッコミに飢えていたトージは、渾身のリアクションを繰り出したのだが……最初から「このトージという人は貴族ではないか」と疑っている村人たちにとっては、まったく洒落にも笑い事にもなっていなかった。

(えっ、どういうリアクション!?)

「トージさん、村の皆さんが怖がってますから……」

「ええ、あぁ、ごめんなさい……」

 場を冷えさせてしまって|凹《へこ》んでいるトージを横に、リタは必死で「トージは貴族ではないし、怖がる必要はない」とフォローに奔走していた。

――――――――――◇――――――――――

 結論から言うと、村の料理は旨かった。

 この村の料理の特徴は、とにかく赤いことだ。色の発生源はトマトである。
 ドライトマトを水で戻した汁をベースにしたスープ料理や、トマトと内臓肉の脂煮込み、チリビーンズのような大豆料理、トマトの戻し汁を麦の粉に吸わせ、そぼろ状にまとめてから炊きあげた料理などは、トージにも旨く感じられた。
 逆に、肉野菜とヒヨコ豆の合わせ煮などは、塩味が前に出すぎてうま味が少なく感じられる。

(コンソメ1キューブと、コショウ一振りでずいぶん変わりそうだけどな)

 村人たちに人気だったのはパスタ料理だ。
 リタの弟、ロッシが「うっはー! 小麦のパスタだよ!」と大喜びで、ドライトマトとソーセージのペペロンチーノをつるつると平らげている。

(そういえば、小麦の料理が少ないな。だいたいライ麦か大麦か豆ばっかりだ。もしかして小麦は贅沢品なのかな?)

 そんなことを考えながら、トージはレルダの守るかまどに戻ってきた。

「おかえりなさい、トージ“さん”。村の料理はいかがでしたか? よければリタのスープも召し上がってください」

「トージおにーちゃん! きょうのはもーっとおいしいよ!」

 リタの家の鍋の前では、レルダとルーティの母子が出迎えてくれた。
「人目があるところで様付けは勘弁してください」というトージの要請に応え、“さん付け”でトージを呼ぶレルダから器を受け取ると、中身は一見、昨日のミルク粥と同じように見える。
 だがスープを口に運ぶと、昨日のミルク粥よりもさらに濃厚なうま味が、トージの舌にガツンと襲いかかった。リタがさっそく解説を加える。

「今日は謝肉祭なので、昨日の夜から豚の骨を炊いたんです。匂いが苦手な方もいるそうなんですが……いかがですか?」

 つまりこれは「豚骨ミルクスープ」ということになるのだろう。
 無論、大学在学中、2回まで替玉無料の豚骨ラーメン店に通っていたトージにとって、豚骨スープは好物のひとつだ。
 リタに返事をすることも忘れ、昨日の粥よりも大きくゴロゴロとしたサイズにカットされたベーコンと、各種の野菜を口に運ぶ。そして麦粒のかわりに入っている麦団子は、白玉くらいの大きさで、もちもちとした食感が楽しい。

176 :酒ない ◆fMFJeA/W0Y :2019/07/09(火) 16:30:58 ID:3FYHYev5

「あの……トージさん、いかがですか?」

「はっ、ごめん、夢中になってたよ。これはちょっとヤバいね、旨い。いますぐにでも東京で店を開けそうだ」

「……トーキョー?」

「まだ半分しか回ってないけど、この豚骨麦団子スープか、村長さんの豚の丸焼きか……このふたつが飛び抜けておいしかった。甲乙付けがたいよ」

「だよねーっ! にししー!」

「そんな、ほめすぎですよ……」

 姉の料理がほめられて嬉しいルーティが、トージの左足に抱きついてくる。
 リタは白い頬を紅に染めて恥ずかしがるが、実に嬉しそうな表情だった。

「娘の料理をそんなにも誉めていただいて嬉しいですよ。できましたら、トージ“さん”の料理も頂戴してよいですか?」

「……あ! いっけね!」

 右の手のひらで、ぺちーんと自分の側頭部を叩くトージ。
 謝肉祭の開始と同時に豚の丸焼きを食べに行ったため、トージは自分が用意してきた料理にカバーをかけたままだったのである。

「いやーすっかり忘れてた、用意してきたのはこれね」

 トージはそう言って、お盆の上にかぶせてあった風呂敷を取り払う。
 そこに乗せられていたのは、100個あまりの「おにぎり」であった。
 海苔も巻かれていない真っ白なにぎり飯が、3つの山に分けられ……
 3つの山には「梅干」「鮭」「海苔」の文字が書かれた紙が添えられている。

「……トージさん、こりゃなんだ?」

「ふっふっふ、見てのとおり“おにぎり”さ。
 ただのおにぎりとあなどるなかれ。まあ、とにかく食べてみてよ」

 トージはそう言って、巨大なお盆をリタに差し出した。

―――――――――――――――――――――――――――――――――――――
【注釈1】
 本作に登場する「|謝肉祭《カーニバル》」は、現実世界の地球とは意味合いの違うものとなっています。
 地球の謝肉祭はキリスト教の祭りで、2月〜3月ごろに行われます。宗教的な意味合いを抜いて要約すると、肉を食べることを禁じる期間に入る前に、めいっぱい肉を食べて騒ぐお祭りです。
 この世界の謝肉祭は、12月中旬に行われます。豚の畜養を終え、屠殺する期間に行う祭りで、穀物ではなく豚を基準に据えた収穫祭に近いものです。

【注釈2】
 この世界の植生は、中世地球のヨーロッパとは大きく異なります。トマトがすでに一般的で、大豆や唐辛子もあります。
 村の料理に出てこなかった作物の状況については、今後の投下を楽しみにお待ちください。

177 :酒ない ◆fMFJeA/W0Y :2019/07/09(火) 16:34:39 ID:3FYHYev5
以上、1章3話修正版でした。
魔法シーンの印象はどうだったでしょうか?

魔法シーンの追加によって1章3話が8500文字とかなり長くなってしまいました。
村人が神官を見送るシーンで場面を区切るべきかと検討しているのですが、
あまりぶつ切りにすると1話あたりの内容が薄くなってしまうのも気がかりです。
長さの部分についても意見をいただけたらうれしいです。

178 :名無しさん:2019/07/10(水) 19:41:56 ID:E6HxMzZw
長さについてはランキング? ポイント? には不利かもしれませんが、ぶつ切りよりもまとまっていた方が読みやすいです

神官は実った麦はどうなったのか? 実った麦と地力の関係が消化できませんでした
刈り取った種を尊重に渡して種と一緒に播くとか、光になって弾けて消えていくとか(神官の言葉的には後者)もうひと描写あるとわかりやすかったと思います

179 :酒ない ◆fMFJeA/W0Y :2019/07/10(水) 19:54:26 ID:zOguUU57
感想ありがとうございます。

麦の生長はパフォーマンスで実効はない(大地の精霊に、同時に地力回復をお願いしている)のですが、
パフォーマンスならパフォーマンスらしくもっとわかりやすくするべきですね。ありがとうございます

180 :酒ない ◆fMFJeA/W0Y :2019/07/18(木) 12:32:39 ID:A9V6AAUb
>>162の続き、酒ない2章10話が書き上がりました。
今回から、章ごとに話数を切るのをやめ、通し話数にすることにしました。
そのため今回の話数は2章24話となります。
お付き合いください。

181 :酒ない ◆fMFJeA/W0Y :2019/07/18(木) 12:32:56 ID:A9V6AAUb
第24話 日本酒づくりのしくみ

 トージたちが水の大精霊ネーロの試しに打ち勝ち、ネーロが応接室の窓を突き破って逃げ出してからしばらく後。

「なあテルテル。ネーロは、ほんとに水をくれる気があるのかな?」

「へいき、心配いらない」

 そう、テルテルは胸を張る。

「精霊、人間とのやくそく、やぶっちゃだめ。やぶるとめがみさま、すごーくすごーく怒る」

「そうなのか。精霊も大変だね」

「やなやつ、いいきみ」

 テルテルはそう言って、意地の悪い笑みを浮かべ。
 普段の無表情が嘘のような豹変ぶりに、「精霊を怒らせるのは絶対にやめよう」と心に誓うトージだった。

 さて、そんなテルテルが「テルテルも、しごと」と言い残し、地面のなかにずぶずぶと潜っていってから3日が過ぎた。
 正月の三が日が終わり、カレンダーは1月4日。
 いいかげんに酒造りを始めないといけない時期である。

「トージさん、できましたよ」

 賀茂篠酒蔵の食堂に、鍋を持ったリタが入ってくる。
 トージの目の前に鍋を置き、蓋を開けば、ふわりと漂うチーズとトマトの香り。
 
「ドライトマトと羊チーズの炒め米です。冷めないうちにどうぞ」

「待ってました! いただきます!」

 リタが小皿に米をよそうと、ドライトマトの戻し汁とチーズで薄い黄色に染まった米粒が山をつくり、粘性の高いソースと絡まってもったりと崩れる。
 トージはそれをドライトマトごとスプーンでごっそりとすくい、口にほおばった。オリーブオイルで炒められたニンニクが香ばしい。ニンニク、トマト、チーズ。アミノ酸のかたまりである3つの食材のうま味が絡み合う。
 炊きあげた米とくらべると固い歯ごたえ。しかし、芯がぎりぎり残らない火加減からもたらされる歯切れの良さが、濃い味のソースと良く合う。地球の料理で例えると、イタリア北部の名物料理であるリゾットとよく似た料理だ。

「昼間から食事を取るなんて、なんだか悪いことをしている気分です」

「ああ、こっちでは食事は朝夕だけなんだっけ。でも、昼ご飯を食べないと午後の仕事で力が出ないから、きちんと食べなきゃね」

「はい、有り難くいただきます」

 リタはトージにぺこりと頭を下げて、みずから作ったリゾットを口に運ぶ。
 なぜリタの自宅から離れた賀茂篠酒造で、ふたりが一緒に昼食をとっているのか。
 それは、端的に言ってしまえば「給料を払うため」だ。
 リタたち一家の栄養改善を狙っているトージとしては、とにかく彼女たちに穀物を食べさせて、体重と活力を取り戻してもらいたい。
 だが、彼女たちが一方的な食料の提供を望んでいない以上、米粉を受け取ってもらうためには働いてもらうしかない。
 そんなわけでトージは、ネーロが運んでくるという水を待ちながら、やれ掃除だ、倉庫整理だ、農具の手入れだと、仕事を作ってリタ一家を酒蔵に呼んでいたのだ。
 そして従業員への「|賄《まかな》い」として昼食もとってもらい、蔵にない食材はリタ家やうわばみたちの家から米粉で買い取って、ひたすら摂取カロリー量を増やしている。

 トージが午後の作業では何をやっておくかと考えながらリゾットを噛んでいると、背中にむぎゅっと重いものがへばりつく感触。

「それ、たべたい」

「うわっ、テルテル!?」

 それは突然の登場だった。どこからともなくあらわれた大地の大精霊テルテルが、まるで子泣きじじいのようにトージにおぶさりながら、黄色いリゾットをじーっと見ている。

「大精霊様、おかえりなさい。まだたくさんありますよ」

「テルテルでいい」

 テルテルはトージの背中に器用にへばりついたまま、リタからリゾットの小皿を受け取る。

「テルテルもごはん食べにきたのかい?」

「ん」

 ぷるぷると首を横に振るテルテル。

「水、来た。井戸に」

「それを先に言ってよ!!!」

 待望の水が来たという報告に、トージは椅子をはね飛ばしてガタっと立ち上がる。
 そのまま駆け出そうとして右手のスプーンに気付き、まだ皿に残っていたリゾットを、立ったままガツガツとかき込んだ。

「井戸小屋に行ってくる! リタさんは食べ終わってから来て!」

 トージはそう言い残すと、背中にテルテルをくっつけたまま、食堂を飛び出した。

「……行ってらっしゃい、ませ?」

 リタはあぜんとしたまま、トージの背中を見送っていた。

182 :酒ない ◆fMFJeA/W0Y :2019/07/18(木) 12:34:52 ID:A9V6AAUb
――――――――――◇――――――――――

「……うん! うまい!」

 トージはテルテルを背負ったまま、コップの水を飲み干した。
 ここは賀茂篠酒造の井戸小屋。
 自動ポンプがくみあげた水の味は、先日の鉄水とはまるで違っていた。
 ただちにトージは、研究室から持ってきた黒い箱、水質検査キットを手早く広げ、水の成分を検査しはじめる。

「鉄分……検出なし! マンガン……検出なし! よし、この水なら酒が造れる!」

 トージの顔は希望に満ちあふれている。彼は背中にへばりついていたテルテルを両手で抱き上げて、興奮気味に問いかけた。

「すごいよテルテル! いったいどんな魔法を使ったんだ!?」

「まほう、ちがう」

 テルテルが指差す先には、井戸小屋の窓があった。
 窓の向こうには、村の北に見える、降雪で山頂を白く染めた山脈。

「やなやつに、山のむこうの水と、こっちの水、流れ、とりかえっこさせた」

「なるほど、あの水はこの山の北斜面の水だったのか……でも、どうやってここまで運んでるんだ? このへんの鉄混じりの地層を通って来たら、結局水に鉄が溶けちゃうと思うんだけど」

 トージがそう聞くと、テルテルは鼻の穴をムプーとかわいくふくらませる。

「つち、鉄がないのに、いれかえた」

「あの、山の上から、ここまで、全部??」

「ぜんぶじゃない。みずがとおるとこだけ」

 それはまさに偉大な貢献だった。
 テルテルは、何十キロにもおよぶであろう雪解け水の通り道から、酒造りの害になる鉄混じりの土を取り除き、“綺麗な”土に入れ替えたのである。
 ただ、トージが酒を造れるようにするだけのために。
 自分と酒のためにそこまでのことをしてくれた。そう理解したトージの胸で、歓喜と感謝の感情があふれだす。

「ありがとう、テルテル!!」

 トージはそう叫びながら、テルテルの小さな体をむぎゅーっと抱きしめた。

「トージ、くるしい……」

「絶対、絶対おいしい酒を造るからな! 本当にありがとう!」

 そう言ってこんどは、テルテルの頭をわしゃわしゃとかきまわす。

「トージ、め、まわる……」

 感極まったトージの暴走は、遅れれて井戸小屋にやってきたリタが、あわててふたりをひきはがすまで続いたのだった。

――――――――――◇――――――――――

 それからの数日間は、あっという間に過ぎていった。

「熱湯できたぞ、火傷に気をつけろー!」

「「「へーい! 親方!」」」

 トージはその日のうちにうわばみブラザーズを招集した。
 髪はぼさぼさ、ヒゲ面で汚らしかったうわばみたちは、爪を切り髭を剃り、髪の毛をバリカンでざっくり短くされた。そのうえでトージの入浴指導を受けたことで、彼らは生まれて初めてと言っていい清潔な外見に変わっている。
 賀茂篠酒蔵の作業服であるツナギを着れば、見た目は現代人とさほど変わらない。

 最初の仕事は蔵の徹底洗浄である。身だしなみをととのえた一同は、蔵の隅から隅まで、そして酒造りに使うあらゆる器具を、あるところは冷水のかけ流しで、あるところは熱湯消毒で、あるところは手作業の水拭きで、徹底的に清潔にしていく。
 日本酒造りは雑菌との戦いだ。掃除をおろそかにしている酒蔵では、絶対に美味しい酒を造ることができない。蔵によっては、重要な器具の掃除は、絶対に新人に任せないところもあるという。

「トージさん、道具の洗浄、終わりました」

「ちょっと待って、この木の継ぎ目、水をかけながらしっかりブラシでこすっておいて。雑菌はこういう隙間にこびりつくから」

「わかりました、やっておきます!」

 掃除に参加したのは、トージとリタとうわばみブラザーズ。そして、手の空いているリタの家族にも日替わりで参加してもらった。
 トージにとって意外だったのは、大地の精霊テルテルも作業に参加したことだ。
 テルテルは細々とした作業は苦手だが、見た目に反してとにかくパワーがある。

「たる、もってきた」

「持ち上げて持ってきたのかい!? 台車を使っていいんだよ?」

「へーき、かるい」

183 :酒ない ◆fMFJeA/W0Y :2019/07/18(木) 12:35:59 ID:A9V6AAUb
 当然、蔵の掃除も業務であるから、給料と賄いの食事が発生する。
 トージは、賄いの準備を全面的にリタに任せた。村でもメシウマで評判のリタの食事を毎日食べられると、うわばみたちは大喜びだった。
 給料は、リタ家の一同にはリタと同量の米粉を。
 うわばみたちには、リタの半量の米粉と、1日1合(180ml)の日本酒を。
 テルテルにとっては食事は単なる趣味でしかないらしく、そのため米粉は受け取っていない。一日一合の高級酒だけをもらって、うれしそうに飲んでいた。

 そして、清掃開始から4日目の朝。
 賀茂篠酒造の会議室に、リタとその家族、テルテルとうわばみ。酒造りにかかわる全員が集められていた。
 着席した8人を前に、トージはホワイトボードを背にして演説をはじめる。

「まずはみんな、3日間お疲れ様。みんなが協力してくれたおかげで、ようやく酒造りを始める準備が整ったよ」

「おめでとうございます、トージさん」

 最前列に座っていたリタが、真っ先に答えた。
 リタはこの場にいる8人のなかで、一番最初にトージと出会い、トージの酒造りに対する情熱と、思うように作業が進まない苦悩を目にしてきた。
 そしてトージが“転移者”であることを、故郷で苦労を重ねてきたことを知る唯一の存在でもある。
 未来が開けて、希望と野心に満ちあふれているトージの姿を見ていると、リタは自然と声が弾み、笑顔が浮かんできてしまう。

「さて、酒造りをはじめるまえに、みんなには、酒ができる仕組みってやつを勉強してもらいたいと思う。ちょっと難しい話になるけど、よく聞いて覚えてほしい」

 トージがそう宣言すると、うわばみブラザーズは不安を隠せない表情に変わる。

「トージ様、オラたちあんまり難しいことはわかんねえんだけども……」

「そうかもしれないけど頑張ってくれ。これは絶対必要なことだから」

「ぜってぇ必要、だか?」

「いいかい、言われたことをやっているだけじゃ、いい酒は絶対に造れないんだ。いい酒を造るためには、酒はどうやって出来るのか……もっと言うと、酒はどう造ればうまくなるのか、どう造ればまずくなるのかを、全員が知ってなきゃだめなんだ」

「なるほどなー。たしかに、俺も獲物を狩るときは、獲物が何を食ってどこで寝るのかを、考えながら探してるぜ」

 リタの弟である赤毛の狩人ロッシが、そう言って同調する。

「そのとおりだね。そんなわけで、酒造りの基本的な仕組みを説明しよう」

 そういってトージは、テーブルの上に茶色い瓶を置く。
 瓶には「無水アルコール」のラベルが貼ってある。

「この瓶のなかに入っているのは“エチルアルコール”っていう物質だ。お酒っていうのは、ざっくり言うとエチルアルコールが溶けた水のことなんだよ」

 トージは瓶の蓋をあけ、参加者全員にアルコールの匂いを嗅がせて回る。

「うわっ、なんだこれ」

「ものすごくツーンとします……日本酒とは全然違いますね、トージさん」

 純度99.5%のアルコールの刺激臭に、皆はそろって顔をしかめる。

「ちなみに日本酒のなかには、このアルコールが15%くらい入ってる。いま嗅いでもらったように、アルコールは単独だとあまり良い匂いはしないんだけど、水で薄めていろんな成分と混ざり合うと、良い匂いになってくるわけだ」

 アルコールの瓶の蓋を閉めて、トージは説明をつづける。

「それで、問題はアルコールを作る方法なんだけど……生き物の力を借りる」

「生き物……だか?」

「そう。“酵母”っていう生き物だ。酵母は、糖……要するに甘いものを食べて、アルコールを吐き出す性質を持っている。だから甘い水のなかで酵母を育てれば、水が酒になるわけだ」

「なんだか、とても簡単そうに聞こえてしまいますわね」

 リタの母親レルダが、意外そうに応える。

「ま、実際のやり方はともかく、原理は単純なんですよ。
 それで話は変わって“日本酒の作り方”になるんだけど」

 トージは、ホワイトボードに、「稲穂」「井戸」「酒樽」の絵を描いていく。
 そして稲穂と井戸から、酒樽に向かってこのように長い矢印を引いた。

―――――――――――――――――――――――――――
 「稲穂」┬――――――――――――――→「酒樽」
 「井戸」┘
―――――――――――――――――――――――――――

184 :酒ない ◆fMFJeA/W0Y :2019/07/18(木) 12:36:24 ID:A9V6AAUb

 そして、ホワイトボードマーカーで、稲穂と井戸の絵をトントンと叩く。

「日本酒の原料はたった2つ。水と米だ。こいつを2ヶ月くらい色々すると、日本酒ができあがる」

「米と水だけで、こんなもんができるべか……」

「あれぇ……?」

 感心するうわばみたちの後ろで、リタの妹ルーティが不思議そうな声をあげた。

「ねえ、トージお兄ちゃん」

「なんだい、ルーティちゃん?」

「お酒って、甘いものでつくるんだよね?」

「うん、そうだよ。酵母っていう生き物が、甘い物から作るんだ」

「お米も水も、甘くないよね?」

「あれ? そういやそうだな……」

 ルーティの素朴な疑問に、ロッシが反応する。

「ルーティちゃん。良いところに気づいたね。そう、米は甘くないから、そのままじゃ酒にならないんだ」

「えへへー」

「だから、まず甘くない米を甘くしなきゃね! 日本酒造りでは、コウジカビっていう生き物を使って、米を甘くするんだ。つまり、こうだね!」

―――――――――――――――――――――――――――
「稲穂」┬(コウジカビ)→ 甘い米 ―(酵母)→「酒樽」
「井戸」┘
―――――――――――――――――――――――――――

 トージは先ほど書いた図の一部を消して、このように書き足していく。

「なんか、複雑になったべな……」

「そんなに難しくはないんだけどね。そうだな……」

 そう言いながらトージが首をひねる。
 彼の脳裏には、村の農民たちの暮らしぶりが流れていた。酒造りを彼らが直感的に理解するには……

「……そうだ。日本酒づくりは、土と水で、羊の乳を作る仕事だと思えばいいよ」

「羊の乳だか?」

「そう。羊の乳が日本酒だと思ってみて。いい乳を絞るには、羊にたくさんエサを食べさせるだろう?」

「んだ。たくさん草を食べさせねぇと、乳が出なくて親父にひっぱたかれるだよ」

 うわばみのひとりの自虐ジョークに、会議室が笑いに包まれる。

「さて、君は父さんに叱られたくないので、羊のために草を用意したい。でも君が任された土地は土がむきだしで、草が生えてない。どうする?」

「そんなら冬まで待つしかねぇべな。冬になりゃ雨が降るから、ほっとけば草が生えてくるべさ。生えてこねえなら、そのへんで草の種でも拾ってくるべよ」

「そう。つまり、そういうことなんだよ」

 トージは、あらためてホワイトボードに、絵と文字混じりの記述を追加していく。

―――――――――――――――――――――――――――
※日本酒造り
「稲穂」┬(コウジカビ)→ 甘い米 ―(酵母)→「酒樽」
「井戸」┘

※羊の乳搾り
「土地」┬(牧草の種)―→ 牧草 ――(羊)―→「羊の乳」
「雨水」┘
―――――――――――――――――――――――――――

「羊が勝手に乳を作るように、日本酒は、酵母って生き物が勝手に作る。だからみんなには、羊の面倒を見るのと同じように、酵母の面倒を見てほしいんだ。エサをあげたり、小屋を掃除したりしてね」

 トージはボードの右半分を叩きながらそう言うと、次に左半分を叩き始める。

「羊に草が必要なように、酵母には甘い物が必要だ。だから牧草地で草を生やすように、米にカビを生やして甘くして欲しいんだ」

「なるほど、そういうことならわかりやすいです」

「んだな、獣の面倒見るなら、オラたちにもできんべ」

 トージの説明を聞いて、リタがほっと胸をなでおろす。
 うわばみブラザーズも、さきほどまでの不安げな表情は薄れつつあった。

「ここで話したことは酒造りの基本だから、しっかり覚えておいてくれ。まずは昼飯にしよう。食休みしたら、午後から日本酒づくりのスタートだ!」

 拳を振り上げながらそう宣言したトージの顔は、ついに酒造りを始められるという充実感に満ちあふれている。
 異世界での日本酒造りが、いま、始まろうとしていた。

―――――――――――――――――――――――――――――――――――――

185 :酒ない ◆fMFJeA/W0Y :2019/07/18(木) 12:38:02 ID:A9V6AAUb
以上、第24話でした。
酒蔵用水が到着し、ようやく酒造りの下地が整いました。
25話からは実際の酒造りの工程を紹介していきます。

186 :名無しさん:2019/07/20(土) 17:09:28 ID:N6naQJUH
カビという説明したら緑黒赤くされちゃいそうで心配です

見えない酵母探して「親方、酵母はどこにいるべ」的な状況もおこりそう?

187 :酒ない ◆fMFJeA/W0Y :2019/07/21(日) 20:26:16 ID:us9QeHzE
感想有り難うございます。
トージがここで「カビ」と言うかどうかは正直迷ってます。
「親方、酵母はどこにいるべ」はもちろんやりますw

188 :名無しさん:2019/07/21(日) 20:39:01 ID:gJa2DkX6
外から変な菌持ち込まれて「莫迦ぁっ、違うんだよぅ、ああぁぁぁっ」というイベントは
見てみたくもありますが、それで一年棒に振らせるのも可哀想すぎる感もありで、ううむ

189 :酒ない ◆fMFJeA/W0Y :2019/07/21(日) 20:44:00 ID:us9QeHzE
さすがにそれはやらないです。
というか、ヒューマンエラーが起きること前提の衛生管理をどこの蔵もやっているので、トージが起こしません。
起きてしまうと1年棒に振るどころか蔵の建て替えになってしまいますので。

あ、納豆菌未遂はやります

190 :酒ない ◆fMFJeA/W0Y :2019/07/22(月) 13:35:37 ID:lHgoNHgk
>>184の続き、酒ない25話が書き上がりました。
お付き合いください。

191 :酒ない ◆fMFJeA/W0Y :2019/07/22(月) 13:36:05 ID:lHgoNHgk
第25話 米を洗う

 日本酒業界では、酒蔵のオーナーのことを「|蔵元《くらもと》」、日本酒造りの指揮官のことを「|杜氏《とうじ》」、酒造りの作業員のことを「|蔵人《くらんど》」という。
 金属とプラスチックでできた扉が開き、中からぞろぞろと人が出てきた。
 台車を押しながら先頭に立っているのは、賀茂篠酒造の蔵元であり杜氏をつとめるトージ。その後ろに、男女8人の蔵人見習いがついてくる。

「寒みぃ……冬の夜中みてえな寒さだよ」

 うわばみ3人と、リタとレルダの女性陣は、自分の上半身を抱くようにぶるぶると震えながら歩いている。
 トージたちが開けた扉の中は、冷蔵倉庫である。
 数日前から温度6度で冷やしていた米を運び出したところなのだ。
 蔵の気温は、現在14度。真冬の1月にしては暖かいように感じるが、リタによれば、これでも例年並みの寒さなのだという。

「さむかったねー、兄ちゃん」

「おめーは無駄に元気になったよな」

「えへへー」

「にんげん、たいへん」

 一方で、赤毛の兄妹、ロッシとルーティは元気そうだ。子供は風の子。ロッシは狩人で、山の寒気にも慣れている。
 そして精霊であるテルテルにとっては、この程度の温度差は何の問題にもならないようだ。

「おっし、みんな注目! 今日の作業の説明をするぞ」

 もちろん冷蔵庫の寒気などものともしないトージが、パンパンと手を叩いて皆の注目を集める。

「これからやる作業は、“洗米”と“浸漬”といって、米粒の表面についている汚れを落として、そのあと米に水を吸わせる作業だ。みんな、まずはさっきの会議室での話を思い出してくれ。リタ!」

「はい」

 トージは、寒さによる震えがようやくおさまってきたリタを指名する。
 トージの指差す先には、紙袋に入った米がある。

「さっき会議室で説明したことの復習をしよう。この米を、酒を造る“酵母”のエサにするには、どうすればいいんだっけ?」

「はい、トージさん。コウジを生やして、甘い米にします」

「正解だ。僕はこれを、土に種を播いて牧草を生やすことに例えたよね。そこでノッポ」

「俺だか!?」

 トージは次に、うわばみブラザーズのなかでもひときわ背の高い、“ノッポ”というあだ名の男を指名する。

「そう、君だ。たとえ話をしよう。牧草地の土がカラッカラに乾いていたら、牧草は生えるかな?」

「そりゃ無理だ、トージ様。土がカラカラじゃ草は生えねえだよ」

「そうだろうね。じゃあ逆に、土がびちゃびちゃで水に浸かったまま、何ヶ月もそのままだったら、牧草は生えるかな?」

「川沿いの田んぼみてえになってるところだか? そら無理だ。そんなんじゃ水草しか生えねえし、羊は水草は喰わねえだよ」

「そうだろうね。つまり、水が多くても少なくても駄目ってことだね」

 トージはそこまで話し終わると、紙袋のなかから米粒をつまみあげる。

「この米にも、コウジっていう牧草を生やすんだけど、水が多すぎても少なすぎてもいけない。具体的には、この袋には米が10kg入ってるんだが……」

 トージはそこに、2Lのペットボトル1本と、お猪口を1つ並べてみせる。

「この10kgの米に、このボトル1本ぶんの水を吸わせるのが目標だ。許される誤差はこのおちょこ1杯分だけ。それ以上多くても少なくても失敗だよ」

「マジかよ。ほんのちょっとじゃんか、それ」

 お猪口1杯の容量は45ml。つまりトージは、吸水量の誤差を、米の重さの0.5%以下に抑えろと言っているのだ。

「みんなに気をつけてほしいのは2つ。ひとつめはスピードだ。モタモタしてたら米が水を吸い過ぎちゃうからね。ふたつめは、丁寧に。乱暴に扱うと米が割れて、いいコウジカビが生えなくなっちゃうよ」

「手早く、丁寧に、これは難しそうです……!」

「人間が完璧にやりきるのはむずかしいね。そこで頼りになるのがこいつ、賀茂篠酒造の最新兵器、MJP洗米機だ!」

 そういって、トージはひとつの機械を引っ張り出してくる。
 金属製の台車に、これまた金属製のバケツのようなものが固定されている。
 機械のあちこちからホースが生えていて、金属バケツの下にはプラスチックのザルが用意されていた。
 リタが興味深そうにその機械に近づく。

192 :酒ない ◆fMFJeA/W0Y :2019/07/22(月) 13:36:31 ID:lHgoNHgk
「なんでしょうか、この絡繰りは?」

「このバケツみたいなところに米を1袋入れる。そのあと、下のパイプに泡を含んだ高圧水流を通してやると、瞬間的に米が研げるって寸法だ。リタ、大麦を粥にするために水で洗うと、水が茶色くなったり、泡が出たりしないかい?」

「あ、はい。茶色い水も泡も、最初のほうは両方出ますね」

「あれは麦の粒についている汚れなんだけど、麦や米の粒って、水と一緒に自分から出た汚れも吸っちゃうんだよ。でもこの機械を使うと、汚れが水に溶けず泡にへばりつく。泡は軽いから上のほうに浮いて、この蓋についてるパイプから即座に捨てられて、米粒に吸収されないわけだ」

「なんだかすごい絡繰りだということはわかりました……」

「まあ、百聞は一見にしかずだね。とにかくやってみよう! ロッシ君、機械の下のザルに、その黒い網をセットしてくれ」

「へいへーい」

 黒いナイロンのメッシュ袋を、リタの弟ロッシがザルにセットする。
 それを確認したトージは、バケツの中に10kgの米をザラザラと流し込み、蓋を閉めてスイッチを入れる。
 バケツの下側から高圧水が流し込まれ、ショワァァァ……という水流音が響く。
 しばらくすると排水パイプから、泡混じりの白い廃液が流れ出した。

「茶色くはないんですね、トージさん」

「色が付いた部分は精米で削り取ってあるからね。表面についてる汚れは、米粉とか、雑菌とかがほとんどだ」

 トージがスイッチを入れてから一分間。ピーッという電子音と同時に、バケツの底にある排出弁が開き、中に入っていた米が研ぎ水とともにドバーッと落ちてきた。
 同時に排出弁の近くにあった3つのバルブから、大量の水がシャワーとなって降り注ぎ、米にまとわりついた乳白色の研ぎ水を洗い流していく。

「洗米が70秒、その後の洗浄が50秒。これは機械が勝手に計って教えてくれるから大丈夫だ。気をつけなければいけないのはここからで……」

 トージが皆にそう説明していると、洗米機から再び電子音が鳴り、シャワーの水が止まる。

「よしきた!」

 トージは洗米機の下からザルを引き出し、巾着のようになっているメッシュ袋の口を絞って持ち上げる。あらかじめ水をはってあった巨大なたらいの横までメッシュ袋を運んで、水中に優しく投入。
 そして間髪入れず、たらいの横にあるキッチンタイマーのスイッチを、ピッと押した。

「トージ様、それはなんだべ?」

「こいつはキッチンタイマーといってね、時間を正確に計る機械なんだ」

 そう言って蔵人たちに、キッチンタイマーを差し出すトージ。
 7分49秒、48秒と、リアルタイムで数字が減っていく電子機器に目を丸くする蔵人たちであった。

「今回の、米を水に漬ける時間は8分15秒にしてみた。洗米で2分、たらいに運んでスイッチ押すのに5秒かかってるから、あわせて10分20秒のあいだ水を吸わせている計算になるね」

「そこまで計算に入れなきゃいけないんですか……」

「米が水を吸う速さは、米の種類や研ぎ具合、温度によって大きく違うんだけど……僕もこの水を米に吸わせるのは初めてだから、最初は実験ってことで」

「んで、こいつが0になるまで待てばええだか?」

「そゆこと。0になったら音が鳴るから、袋を引き揚げて、脱水機に乗せる」

 トージが指さす先には、ドラム缶のような大型エアーポンプに、プラスチック製の大きな「じょうご」をつないだ機械がある。

「袋から出したばっかりの米粒の表面には、まだ水が付いてるから、水切りをしてやる必要がある。この“じょうご”のところに袋を乗せると、風の力で余分な水を吸い込んでくれるわけだ」

「水切りのための機械なんですね。でも、機械を使わなくても、袋を吊しておけば余分な水は落ちるんじゃありませんか?」

「昔はそうしてたんだけどね。でも、水って下に落ちるだろ? それだと、米袋の上のほうと下のほうで、水が付いてる時間が2分くらい違うから、吸水具合にムラができちゃうんだよ。その点、この機械を使えば30〜40秒で済む」

「なるほど。考えの浅い発言でした、申し訳ありません」

「いやいや、むしろ良いことだよ。みんなもリタのように、疑問に思ったことはどんどん質問してくれ! “どうしてこうするのか”を理解することが、美味しい酒につながるんだ!」

193 :酒ない ◆fMFJeA/W0Y :2019/07/22(月) 13:37:16 ID:lHgoNHgk

 リタの質問を「よいこと」と評したためか、リタの家族やうわばみたちからも、ぽつぽつと質問が飛びだしてくる。
 そのなかには、現代の衛生や微生物学の知識がないと理解が難しいものもあった。
 トージはたとえ話を駆使しながら、皆の質問に答えていった。
 そして8分強が経過し、キッチンタイマーが電子音を奏で始める。

「はい、アップ!」

 トージは電子音が鳴り始めた瞬間に水から米袋を引き抜き、脱水機に乗せる。
 乗せると同時にスイッチが入り、エアーポンプが轟音をあげて「じょうご」の中の米袋から余分な水を吸い込んでいく。排水パイプからびちゃびちゃと吐き出される余剰水。
 約1分で脱水機から電子音が鳴り、自動的にポンプが停止した。

「はい、これで洗米と浸漬の作業が終わったことになる。最後にちゃんと目当ての量の水を吸ってくれたかどうか、重さを量ってみよう」

 トージは脱水機から引き揚げた米袋を、その横にある電子秤に乗せる。

「計算通りなら、重さは12kgジャストになるはずなんだけど……」

 電子秤のデジタル表示が変動し、安定する。
 最終的に安定した表示は、11817g。
 11.8kg強という結果になった。

「ええっとトージさん、12012にならないといけないんですよね?」

「そうだね。吸水不足量195g。さっきのお猪口で4杯分くらい足りない。つまり1.9%の吸水不足。いままでの水より“吸いが遅い”みたいだな……」

「お猪口1杯までならいいんだっけ? じゃあ失敗か。どうすんだトージさん」

「この米袋はあとで追加吸水するとして、次は浸漬時間を長くしてみよう。今回は全部僕がやったけど、次からは全員でやってもらうよ」

 トージは、電子秤で計った米の重量を記録用紙に記入すると、そう指示する。
 トージが見せた手本にのっとって、蔵人たちによる洗米浸漬作業が始まった。
 MJP洗米機を用いた洗米浸漬作業は、3人1組で行われる。
 最初のひとりが、洗米機に米を投入し、浸漬時間を指示する指揮官。
 二人目は、洗米機が排出した米を回収してたらいの水に漬け、吸水が終わり次第引き揚げて脱水機にのせる係。
 三人目は、脱水機から米を回収し、重さを量って記録する係だ。

「ひぇっ! なんだべこの水、冷てぇ!」

 新人蔵人たちが苦戦することになったのは、水の冷たさであった。
 この作業で使うすべての水は、冷蔵庫の温度と同じ、6度に設定されている。

「我慢だ我慢! 水が温かいとね、米が水を吸いすぎて、水分量が安定しないんだよ」

「ひえぇ……手が痺れてきただよ……」

 トージが社長になってMJP洗米機を導入するまで、賀茂篠酒造では手作業で洗米を行っていた。その時代とくらべたら天国のように楽になったと感じるトージ。
 しかし、真冬でも最高気温が15度に達する温暖なこの村では、6度の水に手を入れること自体がめったにない。
 蔵人たちは未体験の冷たさに四苦八苦しながら作業を進めていった。

 すべての作業工程を体験するため、蔵人たちは洗米1回ごとにポジションを変えながら洗米浸漬を行う。だが2回目のローテーションで問題が発生した。

「トージ様、わかんねえところがあるだ」

「ん、どうした?」

 質問をしてきたのはうわばみブラザーズのひとり、ノッポ。
 彼は洗米浸漬工程の3番目、脱水機から回収した米の重さを量り、記録する係になっていた。

「数字、どこに書けばいいだ? オラ、文字が読めねえだよ」

「あー、なるほど……」

 現代日本の国民は、全員が義務教育を受け、文字の読み書きを学んでいる。
 だが、ここは異世界。農民の三男坊が読み書きを習っているはずがないのだった。

「あ、そういえばリタは読めたんだよね?」

「はい、習いましたので、母さんとロッシは読めます。ルーティは勉強中です」

「オラたちは読めねえだ」「数字と、自分の名前くれえは書けるだが」

「なるほど。でも困ったな……」

194 :酒ない ◆fMFJeA/W0Y :2019/07/22(月) 13:38:50 ID:lHgoNHgk

 現代の酒造りは、たんなる肉体労働ではない。
 酒造りの仕組みを知り、必要な作業を考えるのはもちろん、この酒にどのような作業をしたのかを記録し、仲間に間違いなく伝えることが大事なのだ。
 また、さきほどトージが吸水比率を計算したように、割合の計算ができなければお話にならない。
 そして、蔵を衛生的に運営するためには微生物の知識が必要だ。
 つまり酒蔵の作業員には、現代日本の高卒者程度の知識が必要なのである。

「ま、今できないのはしょうがない。できるように勉強してもらうとして。問題は当面のこれか……」

 トージは、バインダーに挟まれた記録用紙を見る。
 数字しか読み書きできないうわばみたちでも使いこなせるように、書式を改良しなければなるまい。

――――――――――――――――――――――――――――――――――――
■ 1/7 洗米浸漬記録■
――┬―――――――――┬―――-┬―――――――――-┬―――-┬―――
No|吸水前重量(除袋) |水分率|吸水前重量(除風) |水分率|備考
――┼―――――――――┼―――-┼―――――――――-┼―――-┼―――
1 |10008g   |10.1% |11817g   |29.9% |霧14:30
――┼―――――――――┼―――-┼―――――――――-┼―――-┼―――
2 |10007g   |10.1% |12048g   |32.4% |可
――┼―――――――――┼―――-┼―――――――――-┼―――-┼―――
3 | 9998g   |10.1% |
――┼―――――――――┼―――-┼―――――――――-┼―――-┼―――
4 |10005g   |10.1% |
――┼―――――――――┼―――-┼―――――――――-┼―――-┼―――

――――――――――――――――――――――――――――――――――――

「ううん……?」

 トージは思わず目をこする。
「吸水前重量」と、左側の「水分率」の数字は、すべてトージが書いた文字だ。
 それ以外の列は、1番のデータはトージ、2番のデータは、さきほど記録係を担当していたリタが書いた文字だ。

(トージさん、この備考欄には何を書くんでしょうか?)

(目標量の吸水に成功したから、「可」って書いておいて。可能の「可」ね)

(わかりました)

 そんなやりとりをしていたことを思い出す。

「リタ……あのさ。なんで、|読み書きできんの?《・・・・・・・・・》」

 そう。
 記録用紙の記述は、プリンタで出力した部分も、リタの手書きの部分も、
 すべて|現代日本語《・・・・・》で記述されていたのだ。

―――――――――――――――――――――――――――――――――――
 無条件に言葉が通じるのはラノベ異世界のお約束……ではありませんでした。
 次回、世界の謎、ちょっと増える。
 それでも酒造りは進みます。

195 :酒ない ◆fMFJeA/W0Y :2019/07/22(月) 13:41:00 ID:lHgoNHgk
洗米浸漬記録の表が超ずれてるぅう!

というわけで第25話をお送りしました。
本当は米を蒸すところまで25話でいくつもりだったんだけど、
現代日本語の話をはさんだらそこまで行けませんでした。
酒ないは話数の見積もりが下手だという事実をまた証明してしまった。

196 :酒ない ◆fMFJeA/W0Y :2019/07/27(土) 00:31:22 ID:IgCr2d1/
j-stageのpdfをみながら酒造りパートの構成を切っていますが、
日本微生物学の深淵に触れてる感がひしひしとします
ぶっちゃけますとpdfに書いてあることが半分くらいしか理解できない!w

197 :酒ない ◆fMFJeA/W0Y :2019/07/31(水) 03:54:44 ID:SZm6kk1k
>>194の続き、酒ない26話が書き上がりました。
お付き合いください。

198 :酒ない ◆fMFJeA/W0Y :2019/07/31(水) 03:55:43 ID:SZm6kk1k
第26話 洗った米を蒸す

「リタ……あのさ。なんで、|これを《・・・》読み書きできんの?」

 すべて|現代日本語《・・・・・》で記述された用紙を指さし、トージが問う。

「子供のころ、教えていただいたんです」

「いや、そうじゃなくて、あー……みんな、ちょっと待っててくれ!」

 トージは皆に声をかけつつ、リタを外に連れ出して問い詰める。

「あのさ、ここに書いてある文字なんだけど」

「はい」

「これ、僕の故郷の文字で、漢字とひらがなっていうんだ。つまり異世界の文字のはずなんだけど……」

 リタが驚きに目を丸くする。

「なんでリタが、異世界の文字を読めるわけ?」

「いえ、私としては、むしろこの文字がトージさんの世界でも使われているのに驚いています」

「どういうこと?」

「トージさん、この文字は“神聖文字”というんです。女神教会の教典はこの文字で書かれているので、聖職者の方々がよく使います」

「しんせい……もじ……?」

 リタから聞かされた話は、トージにとって衝撃的なものだった。
 この村が属している国では、3種類の言葉が使われているらしい。
 ひとつめは、庶民の言葉である西方語。
 ふたつめは、上流階級が好んで使う古代語。
 最後が、女神教会の教典に使われている神聖語である。
 トージはリタに、西方語、古代語、神聖語の文章をそれぞれ書いてもらった。

「これは女神教の有名な聖句で、母なる女神様の偉大さを讃えるものなのですが……」

 西方語の文章は、トージもよく知るアルファベットの文章である。
 ときどきトージの知らない文字があるが、どれもアルファベットの派生形に見える。雰囲気的には英語に近いとトージは感じた。

「うーん、なんとなくしかわからないな。単語の意味もわからないし」

「あら? でもトージさん、今も西方語でしゃべってますよね」

「えっ? マジ?」

199 :酒ない ◆fMFJeA/W0Y :2019/07/31(水) 03:56:07 ID:SZm6kk1k

「はい。言葉を話せても文字は書けない人は、珍しくないから大丈夫ですよ」

(いや、僕、日本語で話してるよな……?)

 不思議に思いつつも、次は古代語の文章を検分するトージ。
 古代語の文章もアルファベットで書かれているが、西方語よりも知らない文字が多く、雰囲気も英語よりさらに遠くなった感がある。
 どちらもトージの知らない言葉であり、なんとなく発音を想像することはできても、意味はわからないし正しく発音できる自信もない。
 そして神聖語の文章は……

 母なる女神よ、聖なる、聖なるかな

 と書かれている。まぎれもなく現代日本語だった。

「そうそう、これが僕の故郷の言葉だよ。『母なる女神よ、聖なる、聖なるかな』」

 トージは神聖語、つまり現代日本語で書かれた文章を読み上げる。そのとき。

(うん? なんだ? この感覚?)

 トージの頭のなかに、フッ、と、力が抜けるような感覚が走った。

「わぁ、すごい!」

 リタがそう感想を述べ始める直前、トージの頭のなかで何かが"カチッ”とはまる感覚があった。

(また変な感覚!?)

 戸惑うトージには気付かず、リタはトージの神聖語の感想を伝える。

「トージさん、とても綺麗な発音ですね!」

「そ、そうかい? まあ母国語だから普通だと思うけど……」

「……どうかしましたか?」 

「うん、何か変な感じがするんだよね。日本語……じゃなくて神聖語か。神聖語の文章を発音しようとすると、頭のなかで何か力が抜けるんだ。それで、西方語だっけ? その言葉を聞くと、頭んなかでカチっと……何かスイッチを押したみたいな感じがするんだよな」

「なるほど」

 リタはしばらく考え込むと、あらためてトージに向き直る。

「なんでそうなるのかはわかりませんが、便利でよいのでは?」

「へ?」

 思い切り力の抜けた顔をさらしてしまうトージ。

「だってトージさん、司祭様のように綺麗な神聖語で話せて、しかも神聖文字の読み書きもできるんでしょう? 西方語で会話できるなら普段の生活にも不自由しません。便利じゃないですか」

「そんなものかなぁ?」

「そうですよ。あ、でも西方語の読み書きができないのは不便ですね。私が教えてさしあげますよ、トージさん」

 リタはそういって、両手を腰に当て、薄い胸を張ってみせる。
 得意げで、ちょっとドヤ顔入っているリタの表情が、トージにはなんとも可愛いなあと思えてしまう。

200 :酒ない ◆fMFJeA/W0Y :2019/07/31(水) 03:56:32 ID:SZm6kk1k
「ぜひ頼むよ。あと、みんなにも神聖語の読み書きを教えないとなあ。注意書きも機械の取説も、ぜんぶこれだから、読めないと仕事にならないし」

「みんなでお勉強会ですね、楽しそうです♪」

「おーいトージさーん! まだ話おわんねーのー!?」

 トージとリタが水場の外で盛り上がっていると、待ちくたびれたロッシがふたりを呼ぶ声が聞こえてきた。

「おっといけねえ。それじゃ、仕事に戻ろうか」

「はい!」

 ふたりはバタバタと、洗米と浸漬の作業に戻っていった。

――――――――――◇――――――――――

 冬の酒蔵の朝は早い。

 トージたちが洗米と浸漬の作業を終えた翌日。
 朝早くに起床したトージは、蔵の門前に出て、全身の筋肉を伸ばしていた。
 隣では、テルテルが不思議そうにトージを見ながら、その動きを真似している。
 時間は朝5時半。空はうっすらと青みがかり、夜の帳を残している。
 なにせ日の出までは、まだ2時間以上あるのだ。

 酒造りは雑菌との戦いである。
 そのため日本酒は、雑菌の活性が低温で落ちる、厳冬期を選んで造られる。
 日の出前から酒造りを始めるのも、朝の冷気を生かすための知恵なのだ。
 もっとも、この村の気温は、トージの故郷と比べると暖かすぎる。

(真冬なのに霜も降りないのか。これで良い酒ができるのかな……)

 Tシャツ1枚でも我慢できてしまいそうな暖かい冬にトージが不安を感じていると、トージの右側から、まばゆい光が差し込んだ。

「おはようございます、トージさん、テルテルさん」

「おはようごぜえます」

「テルテルでいい」

 賀茂篠酒造の石壁に沿って、ふたりが小走りで近寄ってくる。
 手に持っているのは、トージが皆に貸与した懐中電灯。
 それを持って走るのは、ひとりは銀色の髪と白い肌の村娘、リタ。
 もうひとりはパンチパーマのようにもじゃもじゃの髪が特徴のうわばみブラザーズメンバー、通称「モジャ」である。

「おはようリタ、モジャ……うーん。やっぱ慣れないなあ」

「しょうがねえだよトージ様、名前じゃ誰だかわっかんねえもん」

 腐った酒を無断で飲んだ罰という、しょうもない経緯で賀茂篠酒造に加入したとはいえ、トージにとっては彼も自社の従業員である。本名でも愛称でもなく、外見を揶揄するようなあだ名で呼ぶのは抵抗がある。
 それでもトージがあだ名を使うことになったのはなぜか。
 うわばみブラザーズの3人は、なんと全員「トマス」という名前なのだ。

(そういえば地球でも、欧州って名前のバリエーションが少なかったな)

 もちろんただの農民に家名などあるわけがなし。
 あえて名前で呼ぼうとすれば「川向こうのトマス」「堆肥場のトマス」「トマト畑のトマス」のように、長ったらしい肩書きをつけなければならない。
 よって村人達は、この3馬鹿トマスのことを、
 ・ノッポ(背が高いから)
 ・モジャ(髪の毛がもじゃもじゃだから)
 ・ギョロメ(目が大きくてぎょろりとしているから)
 という、一目見て分かるあだ名で呼んでいるのだった。

「今日は、うちからは私一人になります。母もロッシも仕事があるので」

「それは聞いてるから大丈夫。しかし、ノッポとギョロメは遅刻かな? そうなりそうだと思って、目覚まし時計を渡しておいたんだけどな」

 トージは坂道の下の方を見渡してみるが、懐中電灯の光はどこにも見あたらない。
 今頃は目覚ましを止めて、すやすやと二度寝中というところだろうか。

「まあ、日も出ないうちから仕事しにくんのは、ちと厳しいだよ」

「でも、モジャはちゃんと定時出勤できたじゃないか」

「そいつは……あいてっ」

 モジャが、頭に伸ばした手をビクリと引っ込める。
 彼の頭をよく見ると、もじゃもじゃの髪の毛が一部だけ、おまんじゅうのようにぷっくりとふくらんでいる。

「どうしたんだ、それ?」

「目覚ましの音がやかましいって、親父にぶん殴られて目が覚めただよ……」

「プクッ、なるほど、それは申し訳ないことしちゃったなぁ」

「トージさん、顔があんまり申し訳なさそうじゃないですよ?」

 髪のふくらみが"たんこぶ"だとわかり、まるで漫画のような立派なふくらみ具合に、トージは思わず噴き出してしまう。

「まあ、しょうがない。作業してればそのうち来るだろ。風呂が沸いてるから、体洗って、着替えて、作業を始めちゃおう!」

 賀茂篠酒造、2日目の酒造りは、4人でのスタートとなったのだった。

――――――――――◇――――――――――

201 :酒ない ◆fMFJeA/W0Y :2019/07/31(水) 03:57:22 ID:SZm6kk1k

「よし、それじゃあ今日の作業をはじめよう!」

「「お願いします!」」

 風呂に入って身だしなみを整えた4人は、いつものツナギに着替え、仕込み蔵の二階に上がっている。

「これからやる作業は、昨日水を吸わせた米を蒸す作業だ。リタ、食べ物を蒸したことはあるよね?」

「はい。最近は、お正月の餅つきでやりました」

「おもち、おいしい」

「おおっと、そういやそうだった」

 トージは芝居がかった動作で、自分の額をぺちーんと叩く。

「僕のうっかりは置いておいて、昨日のおさらいをしよう。いまの僕らの目的は、酒を造ってくれる"酵母"っていう生き物のエサをつくることだ。リタ、何を酵母のエサにするんだっけ」

「コウジを生やして甘くした米、というお話でした」

「正解。それで、米にコウジを生やすのは、土に牧草を生やすのと同じだとも言ったよね」

「んだんだ」

「蒸した米は、蒸す前よりも軟らかくなるよね? 米を蒸す作業は、ガチガチに固まった土を耕して、コウジの根が生えやすくする作業だと思ってくれればいいよ」

 米の主成分はデンプンである。
 生米のデンプンは「β状態」といって、複数のデンプン分子が結晶のように固まっている。この状態のデンプンを消化するのは非常に難しい。
 そこで生き物が消化しやすくするため、デンプンに熱を加えて結晶をバラバラにする「α化」の作業をしなくてはならないのだ。

「ずいぶん世話の焼ける牧草さんなんですね」

 リタはそう言ってクスリと笑う。

「そうだね。手間が掛かることは間違いないよ。ともかく、水を必要なだけ染みこませた米を、必要なだけ蒸せば、いいコウジが生える米になるんだ。いいコウジが生えないと、いい酒はできないよ!」

「おさけ、おいしくなるなら、がんばる」

「いい心がけだね! それじゃあ蒸米作業をはじめよう。僕たちの大事な米を蒸してくれるのは、この機械だ!」

 トージは真後ろにふり返ると、巨大な|何か《・・》にかぶせられていた布を、秘密兵器をお披露目するようなノリでバサリと取り払う。

「OH式|甑《こしき》! これで米を蒸していくよ!」

 あらわれたのは、直径1.5m、高さ2mはあろうかという金属の筒。
 筒の各所には、計器や金属パイプがいくつも生えている。

「また、絡繰りですか……?」

「うん。伝統的な道具もいいけど、新しい機械は、きちんと使えばお酒の質をグンとあげてくれるんだ」

 トージは、OH式甑の銀色の側面をすりすりと撫でながら説明を続ける。

「米を蒸すときに一番やっちゃいけないのが、蒸気の温度が下がって、お湯に戻っちゃうことなんだ。リタ、お湯を沸かしてる上に手をかざすと、だんだん手が濡れてくるだろう?」

「はい、そうですね。なるほど、あれはお鍋の湯気が水に戻っていたのですか」

「うん。そうなると米の表面が濡れて、ベタベタのドロドロになって、いいコウジが生えなくなってしまうんだけど……このOH式甑は、大量の蒸気を発生させるだけじゃなくて、発生した蒸気をもう一回暖めて、すごく高温にする仕組みがあるんだ。だから米がベタつかず、パラパラの良い蒸米を作ってくれるんだよ」

「米がパラパラだと、酒がうまくなるだか?」

「うまくなるとも! それじゃ、倉庫から昨日の米を持ってきてくれ」

 トージに指示されたリタとモジャは、洗米と浸漬をすませた米を運んでくる。
 水分量が変わらないよう、密閉容器で保存された米は10袋。
 合計100kgの米が、今回蒸し上げる全量である。

「OH式甑は、下半分で蒸気を造って、米を納めた上半分に供給する仕組みになっている。だけどいきなり米を入れるのはよくないので、まずはこれを敷いていく」

 トージは脚立に立つと、ドラム缶風呂のように解放された甑の上部から、運んできた米ではなく、真っ白な土嚢のようなものを平たく並べていく。

「その白い袋は?」

「これは|模擬米《もぎまい》っていって、メッシュの袋のなかに、お米のかわりにプラスチックの粒が入ってるんだ。甑の底は蒸気がダイレクトに当たって熱ムラが起きやすいから、こうやって蒸気を通すものを敷いてワンクッション置くわけさ」

「蒸し具合を均一にするんですね」

「そういうこと。次はそこのネットを取ってくれる?」

 トージがリタから受け取ったネットは、甑にすっぽり収まり、はじっこがはみ出すほどの大きさがある。

「よし、あとはこのネットの上に、お米ちゃんを敷いていこう」

 ネットの上にざらざらと米を流し込み、表面を平らに整えていく。

202 :酒ない ◆fMFJeA/W0Y :2019/07/31(水) 03:58:27 ID:SZm6kk1k
 
「トージさん、均一になったと思います!」

「準備OKだね。それではスイッチオン!」

 蔵人たちが脚立から降りたのを見計らって、トージは操作盤を調整し、始動ボタンを押す。軽油ボイラーの点火音が響き、パイプを通じて賀茂篠酒造の仕込み水が送り込まれる。
 しばらく待つと、プシューという大きな音があがり、解放された甑の上面から黙々と湯気が上がり始めた。
 蒸気はどんどんと量を増し、やがて火山の噴煙を思わせるボリュームに変わる。

「こりゃあとんでもねえだ……村じゅうの鍋を集めても、こんな湯気は出ねえべよ」

「フフフ、そうだろうそうだろう」

 OH式甑は、MJP洗米機と同じく、トージが心底惚れ込んで導入した、いくつかの酒蔵機械のひとつである。その性能をほめられて、トージは満足げだ。
 これらの積極的な設備投資のための借入金が貸し剥がされたせいで、賀茂篠酒造は黒字倒産してしまったのだが……いまのトージの頭のなかでは、そんな記憶は脳みその隅っこに投げ捨てられているらしい。

「よし、米全体に蒸気が行き渡ったから、帆布をかけるぞ。そっち持って!」

 トージはモジャと協力して、モクモクと湯気をあげる甑の上に、甑の開口部をすっぽり覆う、巨大な布をかぶせる。
 この布は帆布といって、古くは帆船の帆、現代ではトートバッグの材料によく使われる、分厚くて丈夫な綿布である。
 そして、長いヒモで甑ごと布を縛り、甑の開口部を密閉した。

「湯気を閉じ込めるんですか?」

「いやいや、この布は密閉性ないからね。完全には閉じ込められないよ」

 帆布は蒸気に押し上げられ、風船のようにぷっくりと膨らんでいるが、その表面からは、さきほどと同じようにモクモクと蒸気がたちのぼっている。

「じゃあ、なんで布をかぶせたんでしょうか?」

「理由はふたつあるんだけど、ひとつはこれだね。水滴よけ」

 トージは天井を指さした。
 大量の湯気で白く染まった天井では、排気ファンが全力稼働して湯気を追い出している。だが、蒸気のあまりの多さに排出が間に合っていない。

「なるほど、雫が落ちてくるんですね」

「もちろん、ボタボタ落ちないような構造にはなってるけどね。完全に防げるわけじゃないから、帆布でガードするのさ」

 現段階で天井から雫が落ちてくる様子はない。だが、念を押すことは重要だ。

「もうひとつ、こっちのほうが重要なんだけど、甑になるべく蒸気を閉じ込めて、圧力と温度を上げたいんだ」

「あつりょくと、おんど?」

「ほら、甑の上が開けっぱなしだと、外から冷たい空気が入ってくるだろ? そうすると蒸気が冷えて水になるから、米は濡れるわ蒸し上がりは遅くなるわでいいことがないんだよね。その点」

 トージはそう話しながら、丸く膨らんだ帆布をボンボンと叩く。
 叩くたびに、ボフボフと蒸気が盛り上がり、ゆっくりと排気口へ向かっていく。

「こうやって帆布で蒸気を閉じ込めれば、内側のほうが気圧が高くなる。だから中の蒸気は外に漏れるけど、外の冷たい空気は帆布のなかに入ってこれない。だから甑の中が高温に保たれて、米を濡らさずに蒸すことができるのさ」

「ああ、穀物蔵に鍵かけて、泥棒が入ってこねえようにしてるだな」

「そうそう、それだ!」

 うわばみが思いついた例えに、トージは手を叩いて同意する。

「ただの布一枚に、いろんな役目があるんですね」

「なんせ、僕らのご先祖様が、500年以上前から練り上げてきた技術だからね」

 トージは誇らしげに話しながら、計器板で蒸気の温度を確かめる。

「よし、あとは放っておけば大丈夫だ。みんな、朝飯にしようか」

――――――――――◇――――――――――

「「トージ様、もうしわけごぜーません!!」」

「お前ら! 2時間の遅刻だぞ!」

「「もうしわけごぜーませーん!!」」

 賀茂篠酒造の蔵に併設されている休憩室に、ふたつの見事な土下座が並んでいた。
 床に這いつくばっているのは、うわばみブラザーズのノッポとギョロメだ。
 朝の7時半。太陽が水平線に近づき、徐々に空が赤みがかってきた時間である。

「朝飯は置いておくから、とっとと風呂入って着替えて喰って待ってろ!!」

「「へい!」」

 ノッポとギョロメは大急ぎで更衣室に走っていく。
 それを見てあきれたようなため息をついているのはリダだ。

203 :酒ない ◆fMFJeA/W0Y :2019/07/31(水) 03:58:46 ID:SZm6kk1k

「本当に、困った人たちですね」

「きちんと謝ったからいいさ。それに、そもそも"通い"で5時半に出てこいってのは無理があったしね。だからちょっとやり方を変えよう」

「やり方、ですか?」

「モジャが親父さんに殴られずにすむようにしようってことさ。まだ蒸し上がりまで時間があるし、見せておこうかな。3人ともついてきて」

 トージは、リタとテルテルとギョロメを引き連れて、蔵の建物を出る。
 石壁に囲まれた賀茂篠酒造の敷地内を少し歩くと、二階建ての小さな建物にさしかかった。
 共通の入り口がひとつ。無数の窓。見た目はアパートにそっくりだ。
 
「この建物は……?」

「ここは、賀茂篠酒造の社員寮なんだ。酒造りシーズンは、蔵人の一部が泊まり込みで作業するからね。寝泊まりできる場所を用意しているというわけ」

 廊下を通り抜け、並んでいるドアノブのひとつに鍵を差し込む。
 細長い部屋のなかには、ベッドと机、簡易キッチンにユニットバス。
 小型冷蔵庫と液晶テレビもあるが、電子レンジはない。
 典型的なキッチンつきワンルームマンションの構造だった。

「これと同じ部屋が合計で7部屋あるんだ。モジャ、今日からこの部屋を使っていいから、3月の末まで泊まり込みで働いてくれないか」

「こ、この部屋で、だか……?」

 唐突に住み込み作業を要請されたモジャは、かすかに震えていた。
 その目は綺麗に掃除された室内にくぎ付けになっている。

「ちょっと狭いかもしれないけど、住み心地は悪くないよ。部屋ごとに鍵も付いてるから貴重品も持ち込んでかまわない。休日は週1日、食事は1日3食、休みの日も給料を出す。どうかな?」

「い、いや、部屋に文句なんかねえだ。こんな高そうな部屋、使ってええだか……」

「気にすることはないよ。僕も使ってた時期があるしね。ちなみにノッポとギョロメにも頼むつもりだ」

「もちろんやるだよ!」

「ありがとう! 助かるよ。午後の仕事が終わったら、ご家族にも説明してきて」

 モジャは、おずおずと室内に入り、ベッドの感触に驚いたり、布団の手触りにうっとりするなど、部屋のあらゆるものを大事そうに検分している。
 そもそもトージが寝込んだときの様子でもわかるように、農民の子供が自分の部屋を持つことなど普通はない。夜は、木枠の中に藁を敷いたベッドで雑魚寝である。
 調度品のそろった部屋をひとつ与えるというのは、破格の待遇なのだ。

「……トージさん、なんで雇い人に、このような部屋を?」

 トージの後ろに控えていたリタが、信じられないという表情でトージに聞く。

「ひとつは朝も話したとおり遅刻対策だね。考え直したんだけど、日が昇る前から山道を登ってくるのは危ないよ。それに、目覚ましでご家族に迷惑をかけるのもよくないしね」

「たしかに、それはそうですが」

「それともうひとつ、ここからの工程って、たまに深夜に起きて作業しなきゃいけないことがあるから。僕以外にも泊まり込むスタッフが要るんだ」

「夜中に作業があるんですか!」

「毎日じゃないけどね。リタんちだって、夜中に家畜が産気づいたら、出産を手伝うことがあるだろ? それと同じだよ」

「うーん……」

「あいつらに個室を使わせるのがそんなに気になる? 優遇とかそういうんじゃないよ。蔵人が泊まるために作った建物なんだから、使わなきゃもったいないじゃん」

 トージがリタにそう説明していると、その脇でテルテルも部屋をながめている。

「あ、そういえばテルテルも部屋、使うかい?」

「ん、いらない」

「遠慮しなくてもいいよ? 部屋はまだあるし」

 ぷるぷると首を振ってトージの申し出を断ったテルテルは、部屋の床を指さしてトージのほうを見る。

「土、ないから、おちつかない」

「そっか、大地の精霊だもんな」

「ん」

 テルテルは小さくうなずいて、トージから離れていく。
 一方、トージがテルテルと話しているあいだ、リタは何やら考え事をしていたようだったのだが……

「あの、トージさん」

「なんだい?」

 リタは力一杯の決意を込めた顔で、そう告げた。

「私にも部屋を使わせてください! 私も、蔵に住み込みます!」

「ええっ!? 君が!?」

 若干16歳の美少女が。
 年上の男たちが何人もいる仕事場で。
 ひとつ屋根の下で暮らしたいと言い出したのである。

204 :酒ない ◆fMFJeA/W0Y :2019/07/31(水) 03:59:43 ID:SZm6kk1k

―――――――――――――――――――――――――――――――――――
「西方語」はスペイン語をイメージしています。

 まるまる1話かけても米が蒸し上がらない。
 まあ、キャプテン翼の必殺シュートよりはスピーディーですね!
 じっくりじっくり、酒造りと物語を進めていきたいと思います。

205 :酒ない ◆fMFJeA/W0Y :2019/07/31(水) 04:03:29 ID:SZm6kk1k
以上、酒ない26話でした。

酒造りを中心に話数を切っていたのですが、
数ヶ月におよぶ酒造りのなかでトージとリタの関係を深めていこうとすると、
計画していた話数ではとてもおさまらない。
切り直したところ、本編33話+閑話2話+外伝1話で、36話かけてようやく酒造りが終わるようです。

ここまで書いたらなろうに投稿し始めようと思います。

206 :酒ない ◆fMFJeA/W0Y :2019/07/31(水) 04:05:23 ID:SZm6kk1k
あ、誤植発見。>>203で寮に連行されているうわばみは、ギョロメではなくモジャです。

207 :名無しさん:2019/07/31(水) 08:37:59 ID:+ClH+vMM
乙でした

「ネットの上にざらざらと米を流し込み、表面を平らに整えていく。」

↑これは何か均す道具を使ってます?
文章では台所の羽釜の上の蒸し器に広げているみたいな印象ですが、
実際には半径75cm、となると、と手で均一に均すのは難しいでしょうし

道具を使うのならそう記載すると作業のスケール感も伝わりやすいと思いました

208 :酒ない ◆fMFJeA/W0Y :2019/07/31(水) 12:14:08 ID:SZm6kk1k
読んでくれて有り難うございます。
そこについては決まったやり方がないようなので、はっきり書いてませんでした。
平になればなんでもいいはずなので、適当に描写を追加しておきます。ありがとうです。

209 :酒ない ◆fMFJeA/W0Y :2019/09/04(水) 03:21:52 ID:s5081eF7
8月は仕事が修羅場っていて執筆の時間がまったく取れませんでした。
もうすぐピークを開けるので執筆を再開します。

210 :酒ない ◆fMFJeA/W0Y :2019/09/16(月) 10:33:42 ID:3f7AKIk3
>>204の続き、酒ない26話が書き上がりました。
お付き合いください。
いですさんの雑談スレが一杯になってしまったんで告知ができないなあ。

211 :酒ない ◆fMFJeA/W0Y :2019/09/16(月) 10:34:00 ID:3f7AKIk3
第27話 蒸した米を冷ます

 蔵元であるトージと、3人のうわばみブラザーズ。
 むさくるしい男たちが4人も住み込むことになった賀茂篠酒造の寮に、うら若い美少女であるリタが、住み込みで共同生活を送りたいと言い出した。

「……どうしてリタが、寮に泊まりたいんだい?」

「トージさんは、これから深夜にも酒造りの作業をするのですよね」

「うん、毎日じゃないけどね」

「私は、トージさんの酒造りをお手伝いしたいんです。トージさんがやることを全部おぼえて、いつでもトージさんの代わりができるようになりたいんです。そうでなければ、あんなにたくさん頂いている米粉に見合いません」

 必死に訴えるリタの剣幕に気圧され、トージは言葉を発せなくなってしまう。

「それに、夜道を避けようと日の出後に蔵に来たら、早朝の作業もできません」

「あ、ああ。そうなるね」

「それじゃあ、お手伝いになりません。酒造りの全部を勉強して、トージさんをお手伝いするには、私もここに泊まり込んで、深夜も早朝も、全部トージさんと一緒にやらないと無理です!」

 両手をぎゅっと握りしめ、必死の表情でトージを見つめるリタの全身に、トージは目線を巡らせる。
 この10日間、毎日欠かさなかったシャンプーとリンスによって清らかに洗われ、うっすらと天使の輪すら浮かびつつある銀色の艶髪。
 キラキラと光を反射する前髪の奥には、深くきらめくエメラルドグリーンの瞳。
 食生活の改善で血色が良くなり、紅色が濃くなった唇には清純な色気がある。
 農家の娘とは思えない白い肌は、これまた毎日の入浴で垢の気配すらなくなり、まるで磨き上げられた白磁の人形を見ているかのようだ。
 可憐な印象とまったく噛み合わないツナギ服がミスマッチだが……
 おっぱい星人であるトージのストライクゾーンから外れていることを除けば、誰もがケチをつけようのない美少女である。

 こんな美少女が、家族と離れてひとり暮らし。
 男たちが働く深夜の蔵を、毎晩歩き回ることになるなら……

(間違いが起きない未来が想像できない……)

 まごうことなきトージの本音であった。
 賀茂篠酒造にも女性の|蔵人《くらんど》がいたことは事実だ。
 だが、女性蔵人は全員が通勤勤務で、寮を女性が利用したことはなかった。
 社長たるもの、企業コンプライアンスを構築し、厳守するのは当然である。
 トージは大学で学んだ|安全優先設計《フェイルセーフ》の概念を人事や労働環境にも持ち込み、性犯罪やセクハラにつながりかねない労働環境をできるだけ排除してきたのだ。

「リタ、気持ちは嬉しいよ。でも、男だらけの蔵に、君みたいな女の子が泊まり込むのは……その……まずいだろ、あっちの意味で」

「十分気をつけます。部屋には鍵がかかるんですよね? トージさん以外に呼ばれても、扉は開けませんから」

「いや、部屋が安全でもなあ……」

 トージの脳裏に浮かんだのは、転移前、どこかのアイドルが帰宅時に待ち伏せされ、部屋に踏み込まれて危うく暴行を受けそうになったという事件だった。
 あまりにリスクが高すぎる。でも「トージと一緒に酒造りをしたい」というリタの気持ちは、飛び上がりたいほど嬉しいのだ。
 現実と感情の板挟みになったトージが悩んでいると、トージの胸で「ピピピッ ピピピッ」という電子音が鳴った。

「あっ、やべ。蒸し上がり予定時刻の5分前だ。リタ、その話しはとりあえず後にしよう。米のほうが優先だ」

「わかりましたトージさん、あとでかならずお願いしますよ?」

 トージは、ベッドの柔らかさにメロメロになっていたモジャの首ねっこをひっつかみ、蔵に向かって走り出した。

――――――――――◇――――――――――

 トージは、リタとテルテルとモジャ、そして朝食を食べ終えたノッポとギョロメを引き連れて、蒸し場に戻ってきた。
 蒸し場は真っ白な蒸気に包まれている。特に|甑《こしき》の近くでは、2m先にいる人間の表情が見えないほどだ。

「よーし、蒸気止めー! 帆布あげるぞー!」

 トージとノッポがふたりがかりで、丸くふくらんだ帆布を外すと、閉じ込められていた蒸気がムワっと立ち上った。

「どんな感じか見てみてよ!」

 トージは蔵人たちを順番に脚立に昇らせ、まだホカホカと湯気を立ち上らせている甑の中を見学させる。

212 :酒ない ◆fMFJeA/W0Y :2019/09/16(月) 10:34:14 ID:3f7AKIk3

「わぁ……! 真っ白で、とても綺麗です」

「なんだ嗅いだことのない匂いがすんべなぁ」

 トージが用意した100kgの蒸米は、全体の50%を精米し、米の中心部である「|芯白《しんぱく》」の部分だけを残した不透明なものだった。
 だが洗米で水分を吸収し、蒸気から受け取った熱でデンプンをα化させた蒸米は、光を通す半透明に変わり、白い花畑のようにキラキラと輝いている。
 独特の匂いとは、米を加熱したときに発する、日本人にはおなじみの“あの”香りだ。欧米人のなかにはこの匂いを嫌う人も多いが、蔵人たちのなかには、この匂いが苦手な者はいないようだった。

「蒸し上がったら、まず蒸し具合が適切かを確認する」

 トージはそう皆に伝えたうえで、甑のなかから茶碗1杯ぶんくらいの蒸米を取る。
 そして、木製のスコップを上下逆にして床のくぼみに固定し、スコップの部分に米を押しつけて、手のひらの手首に近いところで餅のように練りはじめた。

「こうやって蒸した米を練って、堅さや手触り、伸び具合なんかを確認する。この作業を“ひねり餅”っていうんだ」

「と、トージ様、熱くねえだか?」

「慣れだよ慣れ、といいたいけど、さすがにこれは熱いんだ! 温度が100度だからね! だから手早くアーンド丁寧にね!」

 トージは熱さを我慢するために大声を張り上げながら練り続ける。
 やがて茶碗1杯の蒸し米は、焼く前のせんべいのような円盤状に変わる。

「はい、これを天井の照明に透かしてみてくれ」

 できあがった“ひねり餅”をリタたちに渡すトージ。

「全体がムラなく、透明になっていると思います」

「そうだね。うまい具合に蒸し上がった米は、ひねるとそうなるんだ」

 全員がひねり餅の検分を終えたことを確認して、トージは甑のなかから小さなネットをふたつ取り出す。

「良い例を見た後は悪い例も見よう。この袋のなかには、洗米のときにわざと水分を少なめに吸わせた米と、多めに吸わせた米を入れておいたんだ」

 トージはまず、水が少ない米を円盤状にひねっていく。

「さあ、透かしてみて。前のやつとどう違うかな?」

 リタたちは順番に、水分の少ない米のひねり餅を、光に透かして確認する。

「なんだか、ポツポツと白い点のようなものが?」

「だろう。そいつは米の芯の部分だ。水分量が少ないから、芯まで熱が通らずに生米のままの部分があるんだ。“|生蒸《なまぶ》け”っていう失敗だね」

「こうなっちゃったら、どうすればいいんですか?」

「うーん、あまり良くないんだけど、追加で蒸して芯まで火を通すしかないかな。んで、次は水が多いほうにいってみよう」

 トージは水分量を多くした米をひねり始める。
 違いはすぐにあらわれた。トージが米を木のスコップに押しつけるたび、かすかにペチャ、ペチャという音がするのだ。

「こいつの違いは、触ってみればすぐにわかるね」

「うわ、なんかベタベタするだ」

「水分が多いから表面がべたつくんだね」

「米がこうなってしまったら、どうするんですか?」

「うーん、水分過多の蒸し米はわりとどうしようもない。ちょっとべたつくなら、次の工程でなんとかフォローできなくもないけど、これだけ多いと手の尽くしようがないね。醤油でも塗って、焼いて食べちゃうしかない。酒にはならないな」

「酒にならない、だめ」

「うん、だから米に水を吸わせるところで十分気をつけないとね」

 テルテルがぷっくりと頬をふくらませて不満を表明し、トージがそれに同意する。

「さあ、次は皆の番だ。うまく蒸せた米でひねり餅をやって、正しい蒸し米の感触を手に覚えさせるんだ」

「オラたちが? この熱い米を!?」

「YESYESYE〜S! はいよ!」

 トージは早速、甑からすくい取った米を、うわばみの一人に渡す。

「あちっ! あちっ!!」

 うわばみのひとりノッポは、100度近いアツアツの蒸米を渡されて、我慢できずお手玉をはじめてしまう。

「ほらー! 冷める前にひねり餅しないと、正しい感触がわからないぞ!」

「そげなこと言ってもー!」

213 :酒ない ◆fMFJeA/W0Y :2019/09/16(月) 10:34:35 ID:3f7AKIk3

 ひねり餅の作業にいちばん早く適応したのはリタだった。
 顔をしかめながらではあるが、普段からかまどを預かっているだけあって、熱い物の扱いに慣れを感じる。
 うわばみたちは熱い蒸米に四苦八苦。
 大地の精霊テルテルは、熱さはまったく苦にしていないが、力加減が苦手なようで、米を練ったり円盤状に整形するのに苦労していた。

「よし、その手触りを覚えておくんだ。ひねり餅はそのへんにして、蒸米を冷ましにかかろう」

「おお、あっちぃ……トージ様、冷めてから練るわけにはいかねえんだか?」

「冷めたら手触りが変わっちゃうだろー?」

 文句を言うモジャをあしらいながら、トージは甑から離れ、天井からぶら下がったコードを手に取り、その末端についているボタンを操作する。
 すると、「ウイーーーーン」という音がして、甑の上に巨大なフックが姿をあらわした。電動クレーンである。

「うわっ、なんだべか、これ」

「蒸した米を一気に持ち上げるためのクレーンさ。これがないと、いちいちスコップで掘り出して運ばなきゃいけないから、時間が掛かるし蒸米が傷つくんだ」

 トージはそう説明しながら、蒸米を包んでいるネットの端を引っ張り、フックに引っかけていく。このネットは「群馬式モッコ」といって、甑で蒸した米を一気に吊り上げて運べるように設計されているのだ。

「はい、みんな甑から離れてー」

 皆が指示にしたがって離れたのを見て、トージはクレーンのボタンを押す。
 クレーンが引き揚げられ、ネットに入った米が湯気を立てながら宙を歩く。そして甑から数歩離れたところにある、別の装置の上まで移動していった。

「はいOK。次は、この“蒸米放冷機”という機械を使って、ほかほかの米のあら熱を取る。ある程度冷めたら麻布の上に広げて、自然に冷やすんだ」

 トージが蒸米放冷機のスイッチを入れると、短いベルトコンベアーのような機械がゆっくりと動き始める。

「ネットの面倒は……ノッポ! 背が高いから、君はここだ」

「へ、へい!」

 うわばみブラザーズのひとり、ノッポがトージに並び立つ。

「いいか、ネットから米を落とすぞ。少しずつ、ゆっくりだ」

 クレーンに吊り下げられたネット「群馬式モッコ」の底の部分には、小さな穴が空くようにファスナーが取り付けられている。
 トージがそのファスナーを開いてネットをゆすると、蒸しあげられた米がぼとり、ぼとりと落ちてきた。
 蒸米はベルトコンベアの上に乗り、出口に向かって亀のようにゆっくりと移動する。そしてコンベアの下からは温風が吹き付けられ、いまだ90度近い温度の蒸し米を、湯気を巻き上げながら穏やかな速度で冷やしていく。

「みんなは、コンベアの上で移動している蒸し米の塊を手でほぐしてくれ。塊になってると中が冷えないからね。米粒を潰さないように気をつけて!」

「わかりました!」

「ノッポ、こっちは任せる。いまと同じ速さで蒸米を落としてくれ」

「へい!」
 
 ノッポによってネットから落とされ、リタやギョロメたちによってほぐされた蒸し米が、徐々に放冷機の出口に近づいてくる。出口付近での蒸米の表面温度は、90度から40度前後まで下がっていた。
 放冷機の出口まで運ばれた米は、その下に敷かれた麻布の上にぼとぼとと積み上がっていく。

「テルテル、モジャ、次の布を用意。僕が持ち上げたら下に滑り込ませるんだ」

「ん」

「わかっただ」

「せーのっ!」

 トージが、10kgほどの蒸米が乗った麻布を、巾着のようにまとめて持ち上げる。それと同時に、テルテルとモジャが、いままで布のあった場所に新しい布を敷く。間髪入れず、ベルトコンベアから新しい布へ、蒸米が落下する。

「テルテル、モジャ、ナイスタイミング!」

「おとしたら、もったいない」

「ヒヤヒヤするだよ……あっ」

 額に浮いた汗をぬぐおうとして、モジャがはっと手を止める。

214 :酒ない ◆fMFJeA/W0Y :2019/09/16(月) 10:34:54 ID:3f7AKIk3

「オーケー、いいぞモジャ。よく我慢したな」

 蒸米は雑菌に非常に弱い。人間の顔に触れた手で扱えば、すぐに雑菌が繁殖してしまう。そのためトージは「手で顔に触らない。汗はタオルで拭く。万が一触ったらすぐ手洗い」を事前に徹底させていた。

「よ、余計に冷や汗かいちまうだ」

 そう言ってタオルで顔をぬぐうモジャに、蔵人たちの笑い声。

「よし、僕はこの米を|麹室《こうじむろ》に持っていくからね。この調子で10往復すれば、蒸米の放冷はおしまいだ。次はいよいよ麹造り。昼ご飯まで、もう一息がんばろう!」

「「「はい!」」」

 日本酒造りの世界には、「一麹、二|酛《もと》、三造り」という格言がある。
 これは、酒造りにおける3つの代表的な作業のうち、
 もっとも重要な作業は「麹造り」だということを意味している。

 日本酒の出来の善し悪しを大きく左右する、麹造り。
 トージにとっても産まれて初めて、先輩蔵人の力を借りず、アドバイスも受けずに行う麹造りが、いよいよ始まろうとしていた。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――
 わりといまさらですが、トージが行っている日本酒造りの工程は、あくまで賀茂篠酒造で行われている工程とお考えください。
 どの工程も「何のためにやるのか」という部分は同じなのですが、具体的なやり方となると蔵ごとにまったく違います。
(たとえば、トージが放冷機という機械を使って行った放冷作業も、機械を使わず、通気性のいい場所に置いて自然に冷めるのを待つやりかたもあります)

215 :酒ない ◆fMFJeA/W0Y :2019/09/16(月) 10:35:20 ID:3f7AKIk3
以上、酒ない27話でした。
28話も半分くらい書き上がっているので、ペースをあげていきたいですね。

216 :名無しさん:2019/09/16(月) 12:30:18 ID:8xkr8wfR
乙でした

217 :名無しさん:2019/09/23(月) 15:19:35 ID:bhXuXNt0
乙です

218 :酒ない ◆fMFJeA/W0Y :2019/09/26(木) 20:41:42 ID:OFxDwXL4
>>214の続き、酒ない28話が書き上がりました。
お付き合いください。今回はついにアイツが登場します。
祝! いですさんの雑談スレ復活!

219 :酒ない ◆fMFJeA/W0Y :2019/09/26(木) 20:42:04 ID:OFxDwXL4
第28話 冷ました米に麹を生やす

 酒蔵には「麹室」と呼ばれる部屋がある。
 ここは、米に麹を生やす、そのためだけに使われる部屋。
 部外者の立ち入りを決して許さない、酒造りの|聖域《・・》である。

 木製の小さな扉をくぐった先に、麹室はある。
 広さは幅7m、奥行き10mの長方形。おおむね小学校の教室をすこし細長くしたような形と大きさをしている。壁面はすべて檜の板張りで和風の雰囲気だが、あちこちに並ぶ液晶のデジタル表示板が異彩を放っていた。
 部屋の中央には細長い作業台があり、さきほど蒸した米が積まれている。
 部屋の壁際には、百枚以上ずらりと積み上げられた木製のトレー。
 そんな部屋に、トージ以下、合計6名の蔵人たちが勢揃いしていた。

「あのう、トージ様」

「なんだい」

「この部屋、やたらと暑くねえだか……?」

 トージたち6人の服装も、さきほどまでとは変わっている。
 身を包むのは厚手のつなぎ服ではなく、薄手の長袖作業服。
 頭には髪の毛をすっぽりと覆う薄手の帽子をかぶっている。
 髪の毛や汗など、雑菌の発生源となるものを米に落とさないための服装だ。

「そうだろうね。なんせ暑くしないと麹が育たないからさ」

「火も炊いてねえのになんで暑くなるべか……不思議だべ」

 うわばみたちはそう言いながら、額に浮いた汗をタオルで拭う。
 麹室の現在の気温は30度。外気温よりも20度近く高い。
 壁面に埋め込まれた電熱ヒーターが、部屋全体を加温しているのである。
 そして檜材でつくられた壁面の奥には断熱材が仕込まれていて、外部に熱を逃がさないようになっている。

「さて、それじゃあここからは、コウジ造りの作業を始めよう」

「お米に、コウジという牧草を生やす作業、ということでしたね。トージさん」

「そういうこと。これから、この米粒ひとつひとつに種をまいて、コウジを生やしていくんだけども。そのまえに注意点がある」

「ちゅうい、てん?」

 テルテルが、こてりと首をかしげて疑問をあらわす。

「僕らはこれから米にコウジを生やすんだけど、コウジ以外が生えてしまうと大変困ったことになる。最悪の場合、この麹室を全部ぶっ壊して、新しく建て直さなきゃいけなくなってしまう」

 リタをはじめとする蔵人たちが、ゴクリと唾を飲む。
 トージは目をつぶり、腕を組み、重々しく語る。
 阿吽の般若像もかくやという迫力に、蔵人たちは気圧されていた。

「もちろん、そんなことがあってはならない。だから絶対に、絶対に……!!」

 トージはクワッと目を見開き、ビシッとギョロメを指さした。

「絶対に、|あれ《・・》だけは! 食べないように!!」

「もう勘弁してくだせえ、トージ様ぁ!」

――――――――――◇――――――――――

 時間を3日ほどさかのぼる。
 賀茂篠酒造に大精霊ネーロの水が届き、器具の洗浄作業が行われていた日。
 昼食の時間にその事件は起こった。

「トージ様、これ、うちの母ちゃんから。皆で食べてくだせえって」

「いただいちゃっていいのかい? 貴重な食料なのに」

「トージ様が米の粉ぁたくさんくれるから、母ちゃん最近機嫌がええんだ」

 ギョロメがそういって差し出したのは、麦わらの束だった。何かが包まれている。

「ちっとクセが強ええんだけども、慣れるとやみつきになるべ」

「いったいなんだろう……?」

 トージが麦わらの束を開くと、親指に何かが粘りつく感覚。
 それと同時に、独特の香りがトージの鼻を刺激する。
 麦わらの中身は、煮込まれた豆だった。
 表面に白く粉を吹き、糸を引くように粘った……

「うわぁぁぁぁぁぁぁっ!!!??」

 トージは、それまで誰にも聞かせたことのないような奇声をあげ、テーブルの上に、良く発酵した|納豆《・・》を放り出した!
 般若のように歪んだ表情で、数秒間そのままの姿勢で震えていたトージは、何かを思いだしたように倉庫に向かって駆けだしていく。

「ど、どうしただ、トージ様」

「トージさん、納豆、苦手だったんでしょうか?」

「最初はみんなそうだべ。3日も食えば美味ぇと感じるようになるだが」

220 :酒ない ◆fMFJeA/W0Y :2019/09/26(木) 20:42:53 ID:OFxDwXL4

 リタとうわばみたちが戸惑っていると、トージは何やら筒のようなものを背負って小走りで食堂に戻ってきた。
 そして卓上の納豆をトングのようなものでつまみ、建物の外に飛び出すと……

「ファイヤーーーーーー!!」

「なにするだーーーッ!?」

 トングごと納豆を地面に放り出し、背中に背負っていた|火炎放射器《草焼きバーナー》で、納豆を怒りの焼却刑に処したのであった。

――――――――――◇――――――――――
「3日前にも話したけれど。納豆のなかには納豆菌っていう雑菌が大量に住んでいる。こいつはコウジの天敵なんだ! 納豆菌を中に入れてしまった蔵は滅びる! だから納豆を“食べず、作らず、持ち込まず”の非納豆三原則を必ず守るように!」

「もう食べねえだよ、あんな怖いトージ様見たの初めてだべ」

 トージは麹室に並ぶ蔵人たちに、3日前にも説明したことを繰り返す。
 あの日の賀茂篠酒造は大変だった。
 トージと蔵人たちは全員風呂に入り直すことになり、ギョロメの普段着は3回の徹底的な熱湯消毒が施されることになった。
 納豆菌は熱に強く、100度以上の熱に晒されても、「芽胞」という耐熱性のある子供を作って生き延びることができる。そのため時間を空けて何度も熱湯消毒し、芽胞から通常形態に戻った納豆菌を狙い撃ちにして死滅させなければならないのだ。 
 しかも、納豆菌を処理すれば終わりではない。
 ギョロメのご家族に、せっかくの食べ物を駄目にしたお詫びをしなければならないし、今後納豆を食べさせないようお願いが必要だ。
 さらにリタ家はもちろん、ノッポやモジャの家にも、同様のお願いをしなければならないわけで。その日のトージは説明行脚でへとへとになって眠ったのだった。

「さて、気を取り直して……これから僕らがやるのは、米にコウジを生やす作業だ。でもみんなは、コウジってなんなのか見たことがないと思う。なので今日は、冷蔵保存してあったコウジを持ってきた。みんな、近づいて見てみて」

 トージはガラス製のケースを開いて作業台に置き、皆を呼び寄せる。
 リタとうわばみたちがケースの中をのぞき込むと……
 米粒の表面に、白い綿毛のようなものが無数に生えていた。

「と、トージさん」

「なんだい、リタ」

「これ、カビてるじゃないですか!」

 そう。米粒の表面に生えている白い綿。
 それは間違いなく「カビ」だった。

「そのとおり。これはカビだよ。コウジっていうのは、コウジカビというカビを生やした米のことなんだ」

「カビたお米で酒を造るんですか!?」

「あまりカビ、カビというとばっちいイメージがしちゃうなあ。このコウジカビっていうカビは、美味しくて良いものしか作らない、最高のヤツなんだぜ」

「で、ですが……」

「良い物か悪い物か、食べてみれば分かるよ。みんなも、さあ」

 トージはそう行って、ケースのなかの麹をぽりぽりと食べ始める。
 
「うわ、ほんとに食べちゃうんですか、トージさん」

「なんか、うまそうに見えてきたべ」

 相変わらず引いているリタを尻目に、うわばみのノッポが興味を示す。
 トージが作った失敗クワスを飲み、腹を壊したあの男である。
 好奇心旺盛なのかゲテモノ好きなのか、ともかくノッポは、ケースから数粒の麹を手にとって噛み砕く。

「ありゃ、なんだこりゃ、甘ぇべよ」

「……本当ですか?」

「ノッポ、美味いだろう? この麹をお湯で溶かして放っておくと、祭りで子供たちに飲んで貰った甘酒になるんだぜ」

「あのときルーティが飲んでいた……?」

 すでに家族が麹を食べていたことを理解したからか、リタは意を決して麹を口に運び、その味わいを確かめる。

「なんででしょう、ほのかに甘いです。それにお米とは違う香ばしさが……蒸した栗のような」

「さすがだね。そう、うまく出来た麹は栗みたいな香りがするんだ」

 トージはテルテルとモジャ、ギョロメにも麹の味見をさせる。
 うわばみたちは美味しそうに麹を食べていたが、テルテルは一言「ん、甘い」と言っただけで、表情がまるで動かない。
 大地の精霊にとっては、甘いものなど特別ではないのかもしれない。
 ともあれ、トージは麹の存在意義について説明を続けていく。

221 :酒ない ◆fMFJeA/W0Y :2019/09/26(木) 20:43:44 ID:OFxDwXL4
「酒造りのはじめの日に説明したけれど、酒というのは、酵母っていう生き物に糖分を食べさせることで造るけど、米には糖分は入ってない。コウジカビは、米の栄養を糖分に変える“酵素”っていう成分をたくさん出してくれる。この酵素のおかげで米が甘くなるから、酒にすることができるんだ」

「それじゃあ、酵素をたくさん出してくれるコウジを生やさないといけませんね」

「そういうことだね。だから皆には、さっきここに持ってきた蒸米を、元気なコウジカビが生える米にしてもらうよ。さあ、作業をはじめようか」

 蔵人たちはトージの指示にしたがい、蒸米が盛られた作業台の周囲に陣取る。

「さて、最初にやるのは“床揉み”といって、固まってる蒸米をほぐしてバラバラにする作業だ。なんでほぐすかというと、米が固まっていると外側だけ冷えて内側が冷えないから、温度にムラができる。温度を均一にすることが目的だ」

「この米粒をぜんぶ同じ温度にするだか? めんどくさそうだべ……」

「でも必要なんだよ。ほら、麦だって日当たりのいいところと悪いところで育ち具合が違うだろ? 麹の場合、日当たりじゃなくて温度が同じことが大事なんだ」

「確かに、塊の中のほうは、まだお米が熱いですね」

 リタが、こぶし大の塊になっていた蒸米をほぐしながら、そうつぶやく。

「さっきと同じように、米粒を潰さないように気をつけて。さあ、始めよう」

 蔵人たちはおっかなびっくり、米の塊をほぐす作業に没頭していく。
 トージは皆のところを周りながら、ほぐし方を指導する。

「あっ、つぶれた」

「あちゃー、やっちゃったね」

 床揉みの作業にもっとも苦戦していたのはテルテルだった。
 テルテルは、蔵人たちのなかでいちばん力が強いが、力の調整に難がある。
 蒸米のかたまりを割ってほぐそうとして、ぐしゃっと潰してしまったのだ。

「……ごめん、トージ」

 テルテルは、自分の手でつぶしてしまった蒸米を見ながら涙目になっている。

「あんまり気にしないでいいよ。最初はうまくやれないのは当たり前だ。でもテルテルは、失敗したことをちゃんと知らせてくれただろう?」

「ん」

「一番よくないのは、失敗したことを隠してしまうことだ。そうすると、間違いに気がつかないまま酒造りが進んでしまう」

「ん」

「失敗してもいいから、たくさん練習してうまくなろうな。テルテル」

 トージがそう言って、葉っぱのような髪が生えたテルテルの頭をなでると、テルテルは無言のまま、トージのおなかにぎゅーっと抱きつく。

「ちょ、テルテル、苦しいって……!」

 人間重機のようなパワーを持つテルテルの抱きつきは、細身なトージにとっては笑い事ですまない胴締め攻撃となる。
 離して離してとテルテルを揺するトージに、リタの暖かい視線が向けられていた。

 そんなこんなで床揉み作業は続き、作業台に広げられた米は、おおむねばらばらにほぐされたようだった。

「んー、そろそろいいかな」

「何がですか?」

「イイ感じに冷えてきたってこと」

 トージは、ほぐした蒸米を触りながらそう話す。
 するとトージは、背後の台に乗せられていた道具を手にする。
 細い金属棒からコードが伸び、消しゴムよりちょっと大きいくらいの液晶パネルにつながっている。
 これは品温計。塊の内部の温度を測るデジタル温度計だ。
 トージは品温計のテスター部分を蒸米の中に差し込んで温度を測る。

「30.5度。よし、こんなもんでいいだろ」

「ふひー、やっと終わりだか」

 米をほぐす作業は、一見すると大した力はいらないように見える。
 しかし、水を吸って重くなった米を動かし続ける作業は、見た目以上に体力を消耗する重労働だ。しかも室内の気温が30度以上なのだからなおさらである。
 酒造りをしている人間に、肥満体の人はいないとよくいわれる。その原因がこの麹室なのである。麹室での高気温下重労働は最高のダイエット運動だ。

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